健康の大切を痛感した順大同窓会

 9月2日以来の投稿とあって同じ内容をアップするなど、ブランクを感じてしまった。

 8月いっぱい、女房は娘(次女を出産)の世話をすべくロサンゼルスに滞在。女房帰国の前後は大型台風。直後に関空は水に浸かった。わたしは9月6日には69歳の誕生日を迎えたが、その頃から肉体の酷使と猛暑から健康体を自負するわたしにも疲労やめまいの兆候が出て、9月15日(土)~17日(月)の同窓会参加が危うい状態だった。

 そこはスポーツ体験のながさで同窓会にはピタリ、ベストコンデジションに持って行った辺りは古希野球選手のなせる業かと思う。15日早朝(4:30)貝塚市(大阪泉南)から車を走らせた同窓生たっちゃんと合流。中国自動車道、滝野・社インターから折り返した「たっちゃん号」は京都で元やり投げ選手(全員元がつくから、以下元は省略)T君を乗せ、さらに草津SAで教員国体400mチャンピオンMやんを拾って一路鬼怒川温泉(栃木県)を目指す。

 「ワイわな、なんぼ運転しても疲れへんで」

 鉄人たっちゃんはトイレが近いT君に気を遣いながら、ときどきトイレ休憩を忘れてドンドン走る。そうそう、滝野・社ICで合流したとたんにわかった。二人とも前立腺肥大。わたしは手術をしたから過去だが。そしてともに痛風持ちで同じ薬を服用中。京都のT君も見事に前立腺肥大。たっちゃんは我慢できる肥大、そんな症状があるらしいことは初めて知った。

 新名神から新東名、富士のすそ野を延々と走って正午に山梨県都留郡西桂町に到着。S君の自宅で飛び切り美味しい葡萄をいただき、彼の案内でうどん屋へ。途中東京から走ってきたI君、H君と合流。一行は7人となった。中央自動車道、圏央道から東北自動車道へ、50年前の青年たちの修学旅行のような旅が続く。夕刻5時、鬼怒川温泉のホテル三日月へ到着。

 ロビーには懐かしい顔が並ぶ。今回で五度目の同窓会。わたしは二度目の参加だから初顔合わせも多い。長距離のU君、1500メートルはめっぽう強かった。細かな心遣いを見せるインカレ4年連続優勝のK君がいつもの笑顔で迎えてくれた。彼らの顔を眺めながらわたしは、「もしもうひとつの人生があったなら、自分は東京でどのような生き方をしていたかなあ」と想像していた。

 酔っては、箱根駅伝せめて上位に入ってほしいと、あちこちで評論が。順大が弱くなった理由の一端も理解できる。わたしの好きな人物K君は、「指導者の多くは欲や名誉に縛られる。無欲な指導者が増えてほしい」といった。日本のスポーツ界は指導者を教えるシステムが乏しい。宴会は滞りなく終了。二次会ではたっちゃんが河内音頭を熱唱して皆をびっくりさせた。ユニークなキャラだ。長距離マネージャーの元気さは健在だった。同じ西脇市出身のA君と携帯番号を交換し帰省の際は一緒に飲もうと約束を交わした。

 2日目はゴルフ、観光に分かれ、われわれ中距離ブロック5人とたっちゃんは日光東照宮へ。途上、渋滞中のワゴンに若い男女ペアの車が追突。居眠りだった。ドン!衝撃にびっくりして我々は外へ。警察官がやってきて約90分。たいしたこともなく事なきを得たが、たっちゃんはじめ皆はやさしかった。「東照宮ってなんや?」誰かが言うから追突されたと笑いあった。

 東照宮が宇都宮の餃子に替わってしまったが、夕やみ迫る河口湖に到着。むかし修学旅行の引率で何度も訪れた湖畔の景色に忘れていた「先生」がムクと頭をもたげて、「あの旅館でKが喫煙して厳しくしかれたなあ」などと生徒のあの顔この顔を想いだしていた。剣道の師範を務めるS君の弟子が経営する居酒屋へ。和食の創作料理と日本酒がマッチして飲んで飲んで食べた。

 翌朝一歩外出すると富士山が美しい。われわれは富士吉田市から富士山五合目を目指す。わたしはこの道が好きだった。五合目で記念写真。誰かにシャッチャーをと探すが、日本人が少ない。みんな外国人。観光客の姿は変わったが、まったく変わらぬ富士の姿。かつての生徒たちがこの場にいたらきっと懐かしがるだろう。

 大学教授のH君が言った。「もう生涯で富士山に来ることはないだろうな」と。6人は来年秋に琵琶湖で二泊三日、また集まることを誓いそれぞれの生活に戻っていった。来年まで、みんなが健康なら、また会える。

 健康といえば、欠席者の声がプリントされていた。

 ・実は小生、下咽頭がんを患い声を失いました。迷惑をかけるから欠席します。

 ・体調不良

 ・病気でリハビリ中

 長距離のエースだったK君は誰かに言った。「竹本が一番いい体をしている。30歳代の顔だね。鍛えているのだろう」と。確かに皆さん、筋肉が落ちて痩せ型で、年相応の体型だった。「陸上の素質はなかったが、野球の素質はちょっとあったみたいで」ピッチャーをやっていますとわたしは笑っていた。

 42年間わたしには野球があった、今もある。古希野球で三田プリンスの人たちとプレーをしている。アメリカへも行った。まだ行こうとしている。だから日々、トレーニングを欠かさない。地味な継続だが、いつの間にか同窓生の中で「いい身体」と認めてもらうまでになっているみたいだ。

 大学時代のすべてに感謝して帰路に着いたが、2年後、島根で開催する「昭和47年度順天堂大学体育学部卒業生同窓会」に一人でも多くの者が健康で参加できることを祈りたい。勿論自分も。そして肩を組んで校歌を歌おうではないか。

   光りに映える  湯島の大地  清鐘爽やか  こだますところ

 

 

 

 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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