幅広い視野と継続のたいせつさ

 わたしは障害福祉事業所の代表理事を務めている。創設から6年間、一貫した理念で運営、書類等の全般にわたってご指導をいただくO先生を先日神戸からお招きし、西脇市黒田庄町の粋なレストランで昼食を共にした。「神戸にもない、いい店だよ」、O先生がほめてくれた大工さんの店「カーペンターズ・キッチン」。

 廃材を利用したり、建物が斬新でしょ、食事に来た人は料理はもちろん建築物に興味を持たれる、するとこの店に新築やリフォームを依頼しようかと思うじゃないですか、今は一つの場所でそれだけをやっているところはつぶれる時代です、コロナ禍で来年はもっと世の中は変わります、このキッチンはたとえて言えばショールーム、メインは大工仕事かも。

 だからあなたの「ドリームボール」は今回、金ゴマづくりを通じて幅広い活動ができました。西脇市の広報に大きく取り上げてもらった、今里純大リーグコレクションの常設展示とコラボする活動もぜひ推進してくださいよ、O先生はいう。思えば4年間、暑い日寒い日、文句を言いながら畑へ通った利用者のガンバリ、スタッフの努力、市職員の支援、すべては継続の力。だから西脇市の広報がわれわれを取り上げた。

 思えば野球にかかわって50年になろうとしている。アメリカでプレーする日があり、仲間もできた。還暦野球で三田市にお世話になって10年、わたしは今日も明日の500歳野球に向けてランニング、ピッチングの準備を行う。野球も仕事も継続と努力。それは「楽しむ」ことで可能になると思うのだ。とても忙しい71歳の秋は楽しまないと乗り切れないハードな毎日なのだ。そして「楽しむことのたいせつさ」はドジャース・キャンプで学んだことかもしれない。では、ベロビーチの世界へどうぞ!


 バンビーノの呪い

 11月7日(日)、今日は午後2時から希望者だけのオプション練習があって、多くのキャンパーが参加した。わたしはアメリカ人の打つことに対するあくなき執念に驚き、ロッカールームを裸でウロウロする彼らのスタイルと体格にもビックリし、おまけに緊張と孤独感が災いしたのか激しい便秘になった。まあ仕方がないよ、初めての場所へ来たのだからと自分を慰めながら、午後6時30分、パーティ会場のプールサイドへ歩いて行った。

 会場には屋根つきのアルコール・スタンドがあり、その横のテーブルには、肉、チキン、ハム・ソーセージ、シーフード、野菜、果物などがタップリと用意され、さまざまな料理がズラリと並んでいる。まずバドワイザー(またバドか)をもらって、次にフォークやナフキンを手にとって自分の席に置き、それから料理の皿を取るために再び目的のテーブルに並んだ。

 言葉が伝わらないのでつい遠慮がちになり、本当はもっと欲しい肉料理を少なく取ってしまう。経験不足の田舎モン丸出しって感じだ。こういうパーティに慣れていかないと、ビジネスの世界や社交界ではやっていけないのだろう。そのとき会場が一瞬にぎやかな拍手に包まれた。顔を上げると、キャンパーたちの目がアルコール・スタンドの横に集中している。そこにはレッドソックス(ボストン)のユニフォームを着た男が立っていた。

 この年、2004年10月17日(つい先日のことだ)、カージナルスを4勝0敗で破ってワールド・シリーズを制した、レッドソックスのピッチング・コーチ、デイブ・ワレス(ウォレス?)が登場したのだった。彼の体格はそれほど大きくはなく、なで肩で、それがやさしい雰囲気を醸し出している。その彼に、すべてのキャンパーが立ち上がり盛大な拍手を贈った。もちろんデイブ・ワレス投手コーチはドジャーズOBだから、インストラクターとしてこのキャンプに参加しているのだが、盛大な拍手にはOBの成功を祝う他にもうひとつの意味が込められていた。

 レッドソックスの優勝は実に86年ぶりだった。ボストン・レッドソックスは1919年に、ジョージ・ハーマン・ルース(愛称はベーブ・ルース)を金銭トレードでニューヨークへ出した。ベーブ・ルースは投手として活躍するだけではなく、打撃にも非凡な才能をみせ、ボストンに在籍した1914年~19年の6年間で、レッドソックス三度のワールド・シリーズ制覇に大きく貢献していた。

  そのルースがヤンキースへトレードされたのだった。ヤンキースはその後、ベーブ・ルースを迎えてから、1920年~34年の15年間でリーグ優勝7回、ワールド・シリーズ優勝4回を記録した。それに引きかえレッドソックスは、1918年から2003年までチャンピオンの座から見離されていた。ちなみに1918年といえば、シベリア出兵が始まり、原敬政党内閣が誕生し、日本に社会主義運動が広まったと、年表に記されている。石川啄木が「一握の砂」を発表し、芥川龍之介の「羅生門」が話題になったと聞けば、わたしにはまさに歴史上の遠い時代に思われる。前年の1917年はレーニンによるロシア革命の年だ。

 アメリカの野球ファンは、このトレードとその後の両チームの明暗をベーブ・ルースの愛称をもじって、「バンビーノの呪い」と皮肉った。レッドソックスがあと一歩のところでチャンピオンの座を逃すたびに、いつもこの「呪い」が登場したものだ。その「バンビーノの呪い」がつい先日、86年ぶりに解けた。デイブ・ワレスが登場したときに、プールサイドのキャンパーたちから大きな拍手が沸いた裏には、レッドソックスにまつわる大リーグらしい逸話が存在するのだ。

  キャンプ・ハンドブックによれば、デイブ・ワレスは選手、コーチとして大リーグ歴35年のキャリアを持っている。彼はその間に、ドジャーズの役職(ピッチング・コーチやフロント)や、他球団のアドバイザーを歴任しているようだ。彼は野茂英雄投手がドジャーズへ入団したときのピッチング・コーチでもあった。その彼が今、レッドソックスで働いている。アメリカではこうやって多くの経験をつんで、指導者への道を一歩一歩進んでいく。日本のプロ野球界のように、スター選手が引退後すぐに監督になるというシステムは存在していないようだ。

 ちなみにデイブ・ワレスさんの誕生日は、時差を計算に入れると、年月日ともにわたしとまったく同じで、1949年9月生まれの55歳。わたしは彼の紳士的な風貌に、さらに親近感を抱いたのだった。


シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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