2021年のごあいさつ
あけまして おめでとうございます
本年で年賀状を閉じますが 今日まで元気に生きてこられたのは
皆様との出会いがあってこそと感謝しています
これからは やり残した夢に挑戦しながら 四季折々の便りやブログ
にて皆様のご健康をお伺いさせていただきます
どうか良い一年をお過ごしください
令和三年 元旦
わたしにとって「やり残した夢」とはいったいどのようなものだろうか。やはりスポーツライター?12月18日の某新聞スポーツ欄「鼓動」に太字のタイトルが躍った。「米黒人リーグ公認」。記事によるとMLB(米大リーグ機構)はニグロリーグの記録を大リーグと同様に扱うとのこと、画期的な決定だ。
これによって、1920年から48年までに展開された黒人リーグ(7つ)約3400人の記録がMLBの公式記録になる。この記事を読んでわたしは書棚から、佐山和夫著「黒人野球のヒーローたち」(中公新書)を取り出した。「野球がアメリカで十九世紀中葉に生まれて以来、基本的に白人と黒人とが共にプレーをすることはなかった。そのため、1885年には黒人だけのプロ野球チームが誕生し、その後その数は激増、ニグロ・リーグを結成して、白人大リーグに勝るとも劣らない実力と人気をかち得るに至った」(紹介文)
佐山さんによると大リーグチームとのエキシビション・ゲーム(オープン戦)について書いている。オープン戦とはいえ白人vs黒人だから「対抗心からくる激しいゲーム運びだった」と。1900年から1950年までの戦績は、436試合、白人大リーグ168、黒人側の勝利数は268。ニグロ・リーグの実力は相当なものだったといえる。
「鼓動」欄の記者は2007年に松坂大輔投手(当時レッドソックス)の初登板を取材するためにカンザスシティを訪れ「ニグロ・リーグ博物館」を取材している。ニグロ・リーグの強豪「カンザスシティ・モナークス」の地。現館長のボブ・ケンドリックさんの言葉が紹介されている。「ヒットエンドランやホームスチールを考案したり、女性選手が所属したりと、スピード感と攻撃的なスタイルでファンの心をつかんだ」。
「鼓動」欄の記者は栗原千鶴さん。ニグロ・リーグ博物館を正式に取材した記者は彼女ひとりだった。彼女によれば「200人近い記者が同地を訪れていましたが、正式に取材したのは”しんぶん赤旗”だけでした」と述べている。それを読んで「ドキリ」とさせられた。わたしは1990年伊東一雄さん(パンチョ、当時パ・リーグ広報部長)一行と8月猛暑のカンザスシティ・ロイヤルズのホーム「カフウマン・スタジアム」で二日間計2試合を観戦したが、ニグロ・リーグ博物館へは行かなかった。
噴水の街カンザスシティで日本食レストランへ行き、NHKご一行様と写真に納まり(福島敦子という美人アナウンサーがいた)、ホテルでは学会参加の黒人を見た。多くの黒人を初めて眺め、その美しさに感動したのを覚えている。しかし博物館へ行かなかった。「なんだ、パンチョもニグロ・リーグに無関心?寂しいじゃないか、せっかくアメリカ中西部まで行きながら、まったく情けない」。パンチョと自分の視野の狭さをながい間悔やんだものだった。
だが今回の記事から佐山さんの著書を精読して気づいたことがある。ニグロ・リーグ博物館ができたのは1991年だった。わたしたちがカンザスへ赴いたのは1990年の夏。ああ、よかった、ごめんパンチョ! よしこうなりゃいつか孫(肌は褐色です)といっしょにニグロ・リーグ博物館を訪問するぞと思わされた「鼓動」の記事だった。こんな記事を書いてみるのがわたしの夢かも知れない。
この記者、栗原さんとは一度兵庫県でコーヒーを飲みながら高校野球について語ったことがある。記者さんはお忘れと思うが、兵庫県公立高校の雄、社高校硬式野球部取材に来られ、わたしが案内役を務めたのだった。「彼ら(黒人)の歴史は、これからも球界に変革をもたらす源泉になるでしょう」(栗原さん)。書いてみたいね、こんな記事を。わたしの初夢!?
みなさん、よいお年をお迎えください。
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