箱根駅伝と青春
現地時間の1月7日(日本時間の8日)、22年にわたりロサンゼルス・ドジャースの監督を務めたラソーダ氏が死去された。93歳だった。残念ながら2004,2006年のドジャース・アダルト・ベースボールキャンプ(ベロビーチ、フロリダ)には登場しなかったから会う機会を持てなかった。残念なニュースだった。
残念といえば、ラソーダさん逝去の前日、アメリカ議会では5人の死者を出す恥ずべき事件があった。トランプ大統領の支持者たちが大挙議会に押し寄せ、窓ガラスを割って侵入、それを現大統領が扇動した結果の「クーデター」あるいは「テロ」が起きた。黒人の一青年に対する言動と比較して警察の対応は鈍かったともいわれる。まったく情けない国になった。
新型コロナ感染が加速し、1月9日(本日)は全国で7781人の感染が報告されている。8日からは一都三県に「緊急事態宣言」が出される。ここにきて兵庫県にも宣言が出る模様となった。なんでちびりちびり対策を立てるのかなあ、一度にぱっと全国規模で対応して短期間に効果の出る方策を立てることができないのだろうか?と、また愚痴が出る、あかん。新春は明るい話題でスタートしなくっちゃ。となりゃ、新春のスポーツ・ビッグイベント、東京箱根間大学駅伝競走の話題となるではないか。
第97回を迎えた箱根駅伝は最終10区で駒澤大が創価大を大逆転するという歴史的な展開となった。新型コロナ禍でみなさん、とても静かな正月を迎えられたのではないだろうか。都会に住む子どもたちは帰省しない、できない。我が家も静かだった。老夫婦ふたりだけの新年、2日間テレビの前でおせちと日本酒をちびりちびり、おかげで思う存分「箱根」を愉しむことができた。こんなことは初めてだ。
わが母校、順天堂は1区にスーパールーキー三浦龍司を起用して久々話題に上った。だが、1区で10位と出遅れて、2区も区間11位、往路、復路ともシード権(10位内)獲得を目指す苦しい走りが続いた。でもよかった、よかった、選手たちは7位。シード権は確保した。よく走った。静かさと、順大の復活もあって今回は箱根駅伝が身近に感じられた。楽しめた、理屈抜きに。
身近さを感じる要因に、2年に一度開催される順大昭和47年卒の同窓会がもたらす一体感がある。この同窓会がよくてね、陸上部の「おちこぼれ」だったわたしも素直な気持ちで出席しているのだ。とても親しい「知人」が茅ケ崎でマイホームを新築し、「家の前を選手が走るから、来年はぜひ3区の応援に来てください」といってLineで順大や青学の選手を見せてくれたのも、今回箱根を存分に愉しめた要因か。青学の原監督や駒澤の大八木監督がトイレ休憩に駐車場へ入っていく姿もLineに流れていった。臨場感がった。迫力があった。
半世紀前、この駅伝を走った同窓生たちはどのような気持ちでテレビを見るのだろうか。第40回大会(昭和39年)の順大オーダーには2区沢木啓祐(日本の長距離を世界レベルに引き上げた人)、3区小出義雄(故人、2000年シドニー五輪で金メダルを取った高橋尚子のコーチ)の名がみえる。42回大会にはB先輩の名が。夜の点呼後に下級生3人がこそっと入ったお好み焼き店で遭遇したのがB先輩、怖い人だった。
同級生たちが登場するのは第45回から。1年生ながら「花の2区」を走ったM君、8区にはU君。彼らは日本選手権にも優勝者として名を連ね、日本学生選手権(日本インカレ)では1万メートル3連覇、5千メートル4連覇の成績を残している。すごかったなあ、彼ら。その一人が言っていた。「おれらのときは1~3位が当たり前、4位に落ちた学年は反省会でぼろくそに叱られたんだから」
わたしにも箱根に関する思い出が一つだけ存在するのだ。試走の日、先輩と電車に乗って平塚へ。出発点に立つ。ランパン姿になった先輩が一人腕時計を頼りに走り出す。「これからひとりで20km以上?怪物だなあ」往来の車を見ながらそう思った。わたしは先輩の荷物をまとめ、逆方向へひとり帰りの電車へ急ぐ。これで「わたしの箱根」は終了!その怪物君、のちに二度オリンピックに出場されたのだから光栄な仕事だったのかも。
テレビの後で、箱根駅伝を経験したかつての同級生に電話をした。「どう感じてた?」。「シード権はまずよかったよね、だけどさあこれを続けなきゃ選手は集まらんだろうし、今からだよ」。鋭く冷静な彼。「箱根は20年前から変化してるよ」とも言った。大学の広告塔として、2日間の視聴率30%、各大学の経済効果が10億を超える?箱根で名を売ればその年の受験生が万単位で増えて受験料だけで数億の上積みがあるとか。それらを含む変化だろうと思う、彼の意見では。
箱根駅伝の選手強化にはカネがかかる。「順大だろぅ、日体大、国士館も、教員養成の大学は皆 弱くなってるよ、OBが金持ってないからなあ」。一理あるのかも。
「しかしな、ゴール直後に倒れこむのはダメだぞお、監督によっては倒れるまで走れというやつがいるけどさあ、倒れず走る方が速いんだから」。なるほどなるほど、素人のわたしは感心する。「ゴール後、ハイ、ビール!、それくらいでなっくちゃ」と電話の向こうで笑う男。こうも言っていた。「走るフォームが横へ揺れたり、崩れたりしている選手が多いよね、練習のときからしっかりしたフォームを身に着ける必要があるよ」。
そして彼はいう。「元気でな、今年は同窓会(島根)で会おうよ」。こんな同級生がいるから箱根駅伝が身近に感じられるのだ。彼らと話をし、箱根駅伝を観戦するとき、わたしはきっと自分の学生時代をテレビにオーバーラップさせているのだろう。理屈抜きに「箱根」が楽しく感じられる、ということは、歳をとったのだ、きっと。
来年は茅ケ崎の友人と現地で観戦。最高の正月になる、なるだろうか?いや、最高な新年にするのだ。ということで、古希野球の練習も開始した。シーズンが始まった。しかし、本当に寒い!(一部 敬称略)
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