続・ヘンリー・ルイス・アーロン

  今日は新聞各紙がハンク・アーロン氏の追悼記事を掲載している。兵庫県の地方紙「神戸新聞」の見出しから見る。「不屈の精神 静かな英雄」「差別乗り越え大リーグ記録」。アーロンは人種差別が激しかった南部アラバマ州の生まれ。幼いころは貧しく野球用具も手に入らなかった。黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンに憧れた。アフリカ系米国人としてベーブ・ルースの記録に挑んだアーロンは人種差別から脅迫の電話や手紙を受けた(神戸新聞)

 米メディアも大きく取り上げている。ニューヨーク・タイムズ(電子版)は「人種差別に立ち向かった本塁打王が死去」。「毎日脅迫の手紙が届き、家族の安全も脅かされ、私の心は切り裂かれていた」ことを伝えた。CNNテレビ(電子版)は「人種差別を乗り越えてルースの記録を更新し、尊敬すべき野球大使になった」と報じた。またCBSスポーツ(電子版)は「単なる野球選手以上の存在だった。キャリアを通して人種差別とたたかい、米国の公民権運動を主導した。引退後は若い黒人選手を野球界に導く活動なども続けた」(しんぶん赤旗)。

 ロサンゼルスに住む長女からはLineがきた。「ハンク・アーロン死んだな」。長女の次女はアーロンがあこがれた男、ジャッキー・ロビンソンにあやかってミドルネームはロビンソン。Mia Robinson Thomas。長女のミドルネームは奴隷解放の大統領Lincoln。Kaia Lincoln Thomas。孫たちが人種差別をする側ではなく、ハンク・アーロンのように差別を乗り越える側の人間として成長してくれることを願っての命名だ。それだけにアーロンの死を重く受け止めたのだった。

 NHKの朝ドラ「おちょやん」のモデル、浪花千栄子自伝「水のように」の一節に作家・石川達三の言葉を引用した部分がある。「私ひとりの私」・・・「ほとんどすべての過去の経験が年月のかなたに消え去ってしまった後に、わずかな記憶ばかりが点々と、遠い昔のようにきらめきながら、私の中に残っている。この記憶の終結が、だれも知らない私なのだ」。

 難しくてよくわかないが、同じく作家の水上勉がいった「人間にはだれでも心の奥に根雪のように解けないものがある」(このような趣旨だったと記憶している)と共通しているように勝手に解釈をした。第二次大戦で二人の息子が戦死した。南方戦線。自慢の息子二人をなくした母親はどれだけの涙を人知れず流したことだろう。戦後、自分の姪を養女にしてそこへ婿をもらって誕生したのがわたしである。戦死の一人は「武(治)ちゃん」方や「圓(司)ちゃん」、だからわたしが武志で弟が司。

 わたしは戦争を憎むDNAをもって生まれている。それはある種の正義感を伴ってわたしという人間を形づくっているのだろう。「この記憶の終結が誰も知らない私」、だから家族全員が同じ価値観で結ばれている。DNAが同じなんだから無理もないことだが。そのDNAがハンク・アーロンの死に敏感に反応した。

 西脇市の歯科医で、大リーグ研究家として偉大な業績と、貴重な遺品をたくさん残された故・今里 純氏の遺品の中に前回紹介したアーロンのバットがある。絶妙なバランスで品格を感じさせるバットに今、たまらなく触れたい思いがする。いままで握ったときとは全く違う気持ちになるだろう。敬意をこめて、白い手袋をして、頭を下げて、ヘンリー・ルイス・アーロンにお別れを言おう。

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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