背番号18の矜持

 まずは東京五輪・パラリンピック組織員会の辞任劇について一言。2月12日森会長(83)が辞任した。森氏の時代遅れ極まる女性蔑視に驚いたが、後任者を勝手に川淵氏(84)と決めたことでもうあきれてしまった。国内の世論、諸外国の注視も眼中になかった。反省もない。日本社会の構造的な支配層(政権党の驕り)の姿が浮き彫りになった今回の辞任劇だった。

 組織委員会の山下泰裕副会長や室伏スポーツ庁長官も歯切れが悪い。日本ではみんな、政治家もマスコミも、地方の行政関係者もみんなが政権党に気を使っているのか?一方では若い人たちを軸とした新しい波も起こっている。ネットを通じて正しいことは正しいといい、ジェンダーの平等を訴える人たちが出現。かつての日本社会には見られなかった光景である。希望が持てる流れがある。

 スポーツは平和、平等、自由の土台の上に花が咲く。還暦・古希野球愛好者の一人である自分は、野球を通じて日本社会の進歩になにがしかの発信をしようと決意した次第である。ところで、60歳以上のメンバーが集う還暦・古希野球は「老害」ではありませんよね?若い人たちとは年齢の上で一線を画しているわけですから。さしずめ「潔い」老人たちと呼んでいただこう。その潔い男たちに今年も野球シーズンが訪れた。

 2月9日(火)初の練習参加(みなさんは二度目)。毎日トレーニングしていても合同練習がないと身体の強化は出来ないものだ。スタンドで体温測定、消毒を済ませる。次回からは酸素濃度測定器も導入するという。全員マスク着用、ベンチ内の私語は極力控えることと説明を受ける。リーダーたちも大変だ。世話役のMさんから新しいユニフォームと帽子を受け取る。おそらく野球人生(訂正しよう、草野球人生だ)で最後となるであろうユニフォーム、帽子であり、背番号だ。急いで車に運んだ。失くしてはたいへんだから。

 グランドへ入るとメンバーたちが話している。「古希の試合数が減るらしいよ」、エッー!?昨年はコロナ禍に泣かされたが今年は通常の試合数をこなせると思い込んでのシーズン・インなのに体の力が抜けるわ。「還暦は野球したい希望が多く、古希のメンバーはやりたくないらしい」そうだ。スポーツマンは気持ちの切り替えが早い。日頃から敗戦を忘れる訓練ができているから「まずは練習だけでも楽しもう」と考えた。

 野球をした夜は食事がうまい、焼酎も美味しい、心と体がきゅっと引き締まる。仕事の疲れもストレスも冬空の彼方へ消えていく。書斎へ上がり新調されたユニフォームを取り出した。背番号は「18」エースナンバーだ。18はなぜエースナンバーと呼ばれるのか?歌舞伎の得意演目「歌舞伎十八番」(おはこ)が野球につながったとか、巨人軍の藤田元司、堀内恒夫、桑田真澄あるいは西武ライオンズに入団したかつての松坂大輔、楽天の田中将大、元広島の前田健太(現ツインズ)や元ロッテの伊良部、涌井選手たちがつけていたからそう呼ばれるとか、諸説存在するが、ともかく、わたしの背番号は「18」。

 今年の自分はマウンドで18を背負うことでどのように変化するだろうか。とても楽しみだ。草野球を始めてからは21、19、17、11番を着用し、還暦からは16、75と変化した。そして野球人生の最後に18番。ひょっとするとマウンドで集中力が増すのでは?投げる姿に品格が生まれるのでは?パーフェクト・ゲーム(完全試合)の奇跡が起こるのでは?妄想がわたしを支配する。

 苦笑しつつユニフォームをたたんだら、三田プリンスのリーダーから電話が入った。「古希も予定通り全試合やることになったぜ」。18を持つ手にぐっと力が入る丑年72歳を迎える早春である。

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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