●発進~悟る投手心理~

 桜が咲いて今年も新しい季節がやってきた。東京にいる研究者(卒業生)からは大石又七さん死去の訃報が入った。大石さんは1954年、第五福竜丸乗組員としてビキニ環礁で米水爆実験による「死の灰」を浴びた人。人生を通して「国への恨み」をバネに核廃絶と平和を訴えた人と聞いている。西脇市出身の研究者Y君は親交のある宝田 明氏(俳優)と大石さんの対談を企画していたが実現することなく今回の逝去となった。わたしは遅ればせながらパソコンのキーをたたく。本の購入、「ビキニ事件の真実 いのちの岐路で」(みすず書房)。

 春は人事異動の季節でもある。新聞地域版にかつての後輩の栄転が発表されている。教頭先生や教育委員会学校教育課長など、清潔な人間性を備えた若い世代が行政や学校現場の表舞台に登場したのだ、彼らにも桜が咲いた。満開だろう。そんな季節に、おそらくは人生の仕事の大半をやり終えた「若き老人たち」が古希野球のオープニング・ゲームを迎えていた。

 前日の強雨でぬかるんだ3月22日(月)の尼崎市小田南公園は気温がぐっと低下した。わたしたち三田プリンスの試合内容も寒かった。厳寒状態。2回の裏、パスボール(三振振り逃げ)でまず1点献上。ちょっとまずい守備が続いて(わたしの死球もあった)迎えるピンチは二死満塁。勢いに乗る尼崎ポパイ古希クラブは初球から打ってきた、真ん中高めのストレート。打球はセンターの定位置?だったのだが(確かに少し風はあった)結果は三塁打。一挙4点のビハインド。万事休す。流れの悪い三田は単発の2安打のみで初戦に散った。相手投手も上手かった。やられた!

 その昔、野球経験豊富な投手は言っていた。「ピッチャーは勝敗など関係なく一人一人のバッターのことだけを考えて投げていくことが基本だ」と。そう考えると敗戦投手の疲労感、しんどさ、情けなさが解消されてきた。わたしはすべての打者に負けてはいない、いやむしろ完ぺきに抑えていたではないか、これでいいのだ、打者との駆け引きを愉しむのが本物のピッチャーなのだ、と遅まきながら本当に悟った。チームを勝たせたい、自分も勝ちたい、そんなことを思うとその空気感が伝わって捕手や守備陣に変なプレッシャーがかかるというものだ。次戦からは打者との駆け引きだけを楽しもう。バックに笑顔の背中を見てもらおうと思うのだった。

 近い将来、小田南公園に阪神タイガースのファーム施設が建設されるらしい。センター後方に阪神電車が走り、人懐っこい鳩たちが餌をついばみ、愛犬の散歩を楽しむ都会の人たち。そんな球場で、また今年も野球が始まった。「この歳で野球ができる幸せ」を再認識した敗戦投手は、「死の灰」を浴びて重い人生を生き抜いた大石又七さんのように、ゆるぎない一筋の道を歩まなくてはと、決意するのだった。

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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