感動のゲーム~攻めの人生を~
4月13日付で兵庫県還暦軟式野球連盟が通達を出した。「変異ウィルス感染拡大によるリーグ戦中断について」と題した通達の主な内容を2点あげると、①4/19~5/5のリーグ戦は還暦、古希ともに中止する。②5/5以降で重点措置適用が延長されたり、緊急事態宣言が発出されたら中断する。といった内容だった。
大阪はもちろんだが、兵庫県にも感染者が増加中で、じわじわと身近な地域に感染が広がっているのが実情だから、中断はやむを得ない。国民はあらゆる分野でこうして自粛、営業短縮に追い込まれているのに、まだ「実現不可能な」(いや、してはいけない)東京五輪に固執する政府、関係者に反省を促したい。利権のにおいをプンプンさせるな、と。もっと国民の立場に立ってくださいよと言いたいものだ。
こちらは誕生した孫とも会えない、遊べない、海外の娘夫婦も、名古屋も茅ケ崎も帰省どころか家族間の交流すら果たせない。友人たちとの会食もなくなった。経済的な困窮、人間的な没交渉の中で日々の生活が守りに入ったり、暗くなったり、みんな大変だが、守りの人生になってはいけないと思うのだ。とくに中高年には前向きな生き方が、今こそ望まれるのではないか。
積極的な人生を! 思い切って決断した。「スポーツ・ジム」への入会。ここ10年は自宅でバーベルを握ってきた。年齢を重ねると衆目に身を置くのが嫌で、独りのほうが気楽だから。そこへ中学時代の教え子(野球部員だった)が隣接する加東市で24時間営業のジムを開設したと聞き、生来のジム好きがムクムクと。即決した。月会費は5,900円。最新の機器とシャワー、消毒や換気も良好、水素水もたっぷり飲める。もう一度きっちりと身支度をして若者に混じって体を鍛えてみよう、古希野球投手の現役はあと5年は続くだろうし。
古希野球の第二戦を12日(月)に控えた4月10日(土)の午後、「ワールドプラス・ジム滝野社店」へ。オーナーである教え子もいた。彼の指導でマシンに向かうとさっそく「肩甲骨の動きが固くなってます」と指摘された。納得。下半身、上半身の強化に取り組むこと1時間、最後は有酸素運動とばかりにランニング・マシーンで20分走。しかしこれはある意味「賭け」だった。試合を控えてのジムだからピッチングに悪影響が出るかもしれないと思った。案の定、12日の対宝塚グリーンスター戦は序盤筋肉痛が残っていて万全ではなかった。
というながーい前置きから試合内容に入ると・・・。それが感動的な勝利だった。神戸新聞三田版の結果によると、まず初回に三田プリンスは相手投手のワイルドピッチで1点を先取。強豪チームから先取点を奪うとは有り難い出だしだった。ところがその裏、コントロールが万全なかったわたしの四球も絡み、いつもの守備で2点献上、あっさり逆転された。1点ビハインドの展開でもマウンドで「大丈夫、いけるぞ」の感覚があった。ジムの効用か体全体が弾むように動くのだ。4回裏からわたしは投球フォームを修正した。微妙に変えたのだ。そこから球が一段と速くなった。「おい、タケモト、急に球が速くなったぞ」と味方の声。ながい草野球歴がものをいったフォーム修正。経験のなせる業、でしょうか。
新しく古希に加入した攻守の要、遊撃手のSさんとのコンビで二塁走者をけん制でアウトにすること二度。これは日野クラブ(西脇市で常勝を誇った軟式野球クラブチーム)当時F選手(大商大OB)に教わった技術が生きた。経験といえばこんな場面もあった。ランナー二塁、わたしが牽制のための振り向くと誰もいない、定位置の二塁手や遊撃手に球を投げるとボークとなって進塁されてしまう。わたしはセンターに向かって速い球を投げた。緩い球だとだめ。案の定二塁走者は三塁に向けた走った。そこでセンターKさんのスーパー送球が三塁手へ、「アウト!」塁審のコールあり。初戦で拙い守備だったKさんの汚名挽回の好返球がチームを救った。こうなればみんな燃えますよ、わたしも燃えた。
5回表にまたワイルドピッチをいただいて2-2の同点に。だが裏にまた拙い守備で1点取られてスコアは2-3。再び1点を追いかける立場になった。6回から宝塚は予定通りの継投に入り、これが逆転の糸口となった。2番打者Yさん四球、続いて打の中心選手Sさんがヒットで無死一、二塁。Sさんを3番に起用したのはN監督の采配だった。4番のわたしに送りバントのサインが出た、当たり前。初球ファウル、次に決めればいいだけのこと、そう思いなおしてボックスに入ろうとするとN監督が寄ってきて、「打とう、サインを切り替えるよ」とささやいた。
責任を感じる場面だった。頭の中は「右打ちでいこう。最低でも走者を進めるのだ」。投手はバントだと思うとどうしても甘い真っすぐになりがちだ。30数年前のこと、千葉県営球場で全国スポーツ祭典(主催、当時の新日本体育連盟)決勝戦のマウンド、バントを予想して直球を投げ先取点を取られた苦い思い出がある(結果は逆転で全国優勝を果たした)。わたしは二球目を待つときもバントらしき構えをして見せた。宝塚のN投手はスリークォーターからやっぱり予想した通りの球を投げてきた。真ん中やや外よりの直球。
二塁手の頭上を越えていく打球を見ながら全力で走った。センターが打球に追いつけない姿も目に入る、三塁打。塁上で、センターKさんの好返球、ライトの好守備もあった、ノーサインで受けてくれる捕手のYさん、などなど、チーム全員の野球がわたしの打球を後押したように感じた。こうなればフォームを修正してからストレートで押しまくるわたしのマウンドはびくともしない。6.7回を抑えて逆転勝利、結果は4-3。好ゲームだった。
2試合目(交流戦)はスタンドで観戦。かつての強打者Tさんは自分の車で応援に来ていた。膝も痛く選手としては参加できないが、こうして後輩の活躍を楽しみにしてくれる人がいる。「Mさんはお元気ですか?」わたしの問いに「いや、よくないみたいで、すっかり痩せて細くなってるわ」とTさんの応え。膵臓の手術後だというMさんの回復具合が心配になった。ミーティング後、三田へ帰るメンバーと別れてひとりシャワーを浴びて車へ。草野球47年の経験と人生への攻める姿勢がもたらした勝利かなと、満ち足りた思いでハンドルを握った。対戦相手も強かった。いい試合だった。
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