6月に練習再開?
兵庫県還暦軟式野球連盟(以下、兵還連)の声明が発表された。それによると「6月は合同練習も可。公式戦再開は7月の日程から」ということになりそうだ。あと2週間で練習ができる、みんなとボールを追いかける日々が戻ってくる。
ランニング、ネットピッチ、ジムでの筋トレと、ひとりで体づくりはできるのだが、本当の体調は把握できない。打者を相手に投げ、打席に立って投手の投じる球を打つことでコンディションが整っていくと思うのだ。そのためにも5月31日をもって緊急事態宣言が解除されるよう願う毎日である。
先日、かかりつけ医(痛風の薬を処方してもらっている)の診察室で旧知の顔に出会った。彼は地元軟式野球チームのエースだった。兵庫県下でも名を知られる優れた投手だった。わたしは痛風、彼は「心臓がちょっと、ね」といった。40年前の青年がともに70歳の「じーじー」なのだから不思議な再会である。彼は躍り上がるように左脚をあげるフォームから見事なストレートを投げ、カーブのコントロールも抜群だったから、わたしのチームは惜敗の連続だった。
彼Sさんはわたしの目標だった。勤務を終えて薄暮の道を帰っているとランニングしている人物がいる。何度となく見かけたものだ。それがSさんだった。軟式野球(つまり世にいう草野球)のために自営業を終えてから暗い道を走り、昼休みには監督さんを相手に投球練習も行っていると耳にした。そんな彼にはいつもやられた。毎年のことだが、3月、春先のシーズン開幕時に彼の投球を見てシーズンを占ったものだった。「あぁ、今年も早い球投げてるわ」と感じると、その年はもうダメ。「こうなりゃいつかSさんが衰えるそのときまでとにかくオレは練習をやり続けるのだ。それしか方法はないぞ」と。Sさんはわたしの前に立ちはだかる大きな壁であり、大好きなライバルだった。だからわたしはトレーニングを継続することができた。
Sさんのチームに負けたといってはビールを飲み、勝ったぞと大喜びしては焼肉とビールで盛り上がった。それで痛風?ともかくも、当時の西脇軟式野球連盟登録チームは40半ばを超えていたと思われる。A級、B級、C級の3クラスに分かれてトーナメントが組まれ、毎週西脇市民球場では熱戦が展開されていた。市内で勝てば東播地区大会で明石、三木、小野の会場で強豪チームと対戦し、難関の後は栄えある県大会。青春を野球にかけるにふさわしい当時は野球の全盛期。現在ではわずか8チームの組織とか。
野球は人生を豊かにするもの。明るく楽しく、生活の範囲内でエンジョイすればいいのだが、もうSさんのようにストイックに練習する人はいなくなったように感じるのは少し寂しい。診察待合室でともに髪の毛の少なくなった頭を下げあって挨拶をする二人。冬の寒い夕暮れ、勤務後の職員室では先輩教師の声「一杯行こうか」。わたしたちをおでん屋のぬくもりへ誘う言葉。その誘惑をはねのけてわたしは夜の道へランニングに出るとき、脳裏にはいつも暗い道を黙々と駆けるSさんの姿があった。
Sさんへのリスペクト。もちろん彼はそんなわたしの気持ちは知る由もないが、彼に会うたびに若いころ草野球に情熱をかけていた自分と遭遇する。そうして今、三田プリンスで還暦・古希野球に参加して、第二、第三のSさんが生まれていることがうれしい。「お大事に」笑顔でSさんと別れた。それはかつての互いの努力を認め合う心からの笑顔だった。
0コメント