夢をみた、梅雨の中休み
新型コロナ禍による困窮、圧迫で女性の自殺者が増加している。まったくストレスのたまる世の中になったものだ。金曜日(21日)午後、初めて西脇市の新庁舎に足を踏み入れて、自分に馴染まぬ庁舎に親近感もなく、ただ一人玄関右手のカフェでコーヒーを飲んでいたら一週間の勤務疲れが出たのかしばしまどろんでしまった。
だれか判別できぬ声がした。「土曜日午前、三田谷公園の野球場がとれたから自主練をやる人は使用してください」。午前7:30外気はさわやかだった、湿気がない。「秋のようだな」、久しぶりのユニフォームで車を走らせる自分がいて、この朝体の変化を感じていた。便、そう大便の量に変化があった。緊急事態宣言が出て1か月間チームの練習が途絶えてから、どうも元気な一本便が姿を見せない。いつも腸内がすっきりしないのだ。これがストレスの一種だなと、あらためて古希野球のありがたさを感じ取っていた。それが練習に行くとなると、三度もよおして大量の便が出た。
自主練には9人が参加していた。昔は会社の幹部で趣味にトランペットを吹いていた?(オーケストラの一員だったかも)Iさんとキャッチボールを。還暦の県連盟では合同練習を自粛しているため、三田プリンスも練習を厳しく戒めているから外野の隅っこでキャッチボールをした。この人は不思議で、日ごろは運動不足のはずなのにいつも速くて強い球を投げてくるのだ。「すごいですねえ」と声を掛けたら、「近所の公園で数人集まってキャッチボール、トスバッティングをやってますからね」と返ってきた。やっぱり、みんなじっとしていられないのか。
前日の豪雨は正午過ぎにあがり薄日も射したからグランドコンディションは良かった。わたしは監督に声をかけた。「ストライクを投げますからバッティング練習をしてください」と。監督が言う「ならば野球場の周囲にネットを張ろう」と。すぐに黒いネットが張られ、我々の練習は散歩、ランニング中の市民の目から遮断された。なにしろ県連盟の指令を順守する三田プリンスなのだから。
打者を相手に投げているとストレスがパーと散っていくように感じた。消えていく。いくらネットピッチングをしていても、ジムで鍛えていても、実際のマウンドで投げることに勝るものはない。「気持ちいいなあ」と、わたしは全身がビシィッと引き締まっていくのを感じていた。だが一人で投げ続けるのはまずい。投げたい、投げないといけない人がいる。ショートのポジションでわたしは難しいゴロをさばいていた。「歳を重ねるごとに、オレは野球がうまくなる」。第一にスローイングが上達している。その昔はピッチャーゴロを一塁へ暴投していたのだから、確かに今の方が野球が楽しい、上手だ。
たっぷり汗をかいて帰ろうとしたら監督が「おい、時間はあるか?」と二人のメンバーを誘った。「ここからならK寿司はどや?」。3人が回転すしの机に座っている。「イカとマグロ、エビのから揚げもいけるぞ」、腹も減ったし、ようし、監督に甘えてたらふく食べるか、あの人(監督)はエビが好きなのだな。いざイカを食べようと口を開けたとき、「ごめんごめん、会議が遅くなってしまって」と、遠くでなじみの市議会議員の声がした。目が覚めた。いつの間にか西脇市役所で三田市の夢をみてしまったようだ。
それから、野球で街づくりを進める方法について議員さんと話をした。寿司は遠くへ去っていた。あいさつを交わして車に向かうとき、夢の続きを思い出した。「監督、60歳のあの人はまじめですね」と、同席していた新人のことを訪ねた。80歳を超えた元社長の監督はサラリといった。「彼はバンカーだからな」と。サウスポーの新人選手は銀行マンなのだ。「バンカーか」。「監督、あと5年は元気でいてくださいよ」そう呟いて別れたのだったが、議員さんといい、三田市の野球仲間といい、わたしには心がつながる人たちがたくさん存在する。
いつの日か、こういう人たちをわたしの筆で蘇らせていきたい、と、これもまた夢の続きだった。夢の一日、梅雨の中休みはさわやかな清涼感ある空気が流れていた。
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