東京五輪の是非
この7月23日(金)、もしかして東京オリンピックの開会式が挙行されたとしても、わたしはテレビを見ないことに決めた。すべての競技について観戦せずと決断した。その理由は?
まず新型コロナの感染が収まっていない。すでに日本で発見されている変異種であるインド株は、第3波で確認された英国株の1.5倍とか。インドネシアで今、インド株が大感染を引き起こしており、インドネシアからの入国は制限なしの状態である。さらにヴェトナムでは英国株+インド株のハイブリッド株が確認されているようで、この世界状況下でオリンピックを開催したら「フェア精神」に悖る行為となる。
今日(5月30日)の兵庫県は101人の感染、死亡者5人。サンデーモーニングのコメンテーター、青木 理氏の意見を待つまでもなく「IOC、政府、東京都、だれが責任を取るのか明確ではない」。このような状況下で「平和の祭典」「スポーツの祭典」が行われることが残念でならない。新型コロナ禍はいかんともしがたいが、オリンピックの開催はもうあきらめてほしいと願わずにはいられない。その理由は?
理由はただ一つ、国民の約7割が反対し、無観客で開催される大会に子どもたちが感動できるとは思えない。同時に57年前1964年に触れた第18回東京オリンピックの思い出を汚したくない気持ちが強いから、テレビも見たくない、それが理由である。
1964(昭和39)年、陸上競技に熱中していたわたしは叔父に誘われて当時の東京オリンピックを観戦した。と言いたいところだが水球のチケットしか残っておらず、わたしと叔父は織田フィールド(練習場)を眺め選手村を訪れたにとどまったが。東京には15か国が初参加している。アルジェリア、カメルーン、コンゴ共和国、ニジェール、マレーシア、ネパールなどなど。手帳とペンを差し出すと嬉しそうな顔で、慣れない手つきでサインをしてくれた。顔の色は黒かった。選手村には各国のカラフルな国旗が掲揚されていて、胸躍る夢のような、それはまさに「平和の祭典」だった。今回開催されたとしても日本の若者が選手たちと触れ合うチャンスは皆無なのだろう。かわいそうなことだ。
オリンピックの一年後、社高校体育科に進学すると(一期生だった)視聴覚室で一本の映画を見ることができた。市川 崑監督制作の「東京オリンピック」。記録映画である。公開時に特例で鑑賞したと記憶している。県下初の体育科を指導した恩師・石井 一先生の計らいだった。「躍動する肉体美」「選手の内面まで表現した秀作」、まさにそうだった。冒頭に原爆ドームがアップされ、開会式の聖火最終ランナーは原爆投下の年に広島で誕生した青年。織田記念ポールがカチカチとなっている。スポーツの素晴らしさが画面いっぱいに表現されていた。
人類初の10秒0を記録した男子100メートルのボブ・ヘイズ、真っ暗になるまで戦った棒高跳びの熱戦、マラソン2連覇を果たしたアベベ・ビキラ(エチオピア)、国立競技場に帰ってきて銅メダルを獲得したマラソン円谷幸吉とヒートリー(英)の争いなど。どの画面にも小旗を振って応援する沿道の日本人(それが当時の普通の庶民の姿なのだ)がいる。円谷!つぶらや!叫ぶメインスタンドのファンの姿がある。市川崑監督はエプロン姿のおばさんを映し出し、鼻水でコテコテだろうジャンパー姿の小学生を描く。オリンピックは観客とともに在る。記録映画を見てのわたしたちの感想だった。
東京オリンピックに触れた若者たちはスポーツの世界に身を投じ、多くの高校生は東京の大学へ進学していった。東京はあこがれの地となった。57年前のオリンピックには誘致にまつわる不正のうわさも、IOCの金権体質も存在しなかったし、もちろん新型コロナの恐怖もなかった。幸せないい時代だったと思わざるを得ない。だからこそ、国民の大多数が反対する大会が子どもたちに夢を与えるオリンピックになるとは思えない。オレはテレビを見ない。
還暦、古希野球の合同練習は緊急事態宣言の延長によって、また6月末になってしまった。自粛の連続。2年も自粛が続いたらいいかげん練習にも熱が入らなくなった。政治が国民の生活から遠いところに離れてしまった。いつになったらワクチン接種が自分のところへやってくるのかすらわからない国にわれわれは住んでいる。こんなことで古希野球への情熱を阻害されてたまるかと苦笑する日々である。
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