オリンピックは、もうダメだ
7月20日(火)は野球の練習日。三田プリンスでは還暦、古希メンバーがいっしょに練習をしている。この日は26人の参加で紅白試合を行った。猛暑だから試合形式の方が体への負担が軽減されるからだ。年寄りには熱中症が怖い。一般的な60~70歳の人ならクーラーの元で静かな時間を持ちたくなる暑さなのに、体操、ランニング、キャッチボール、トスバッティング、そしてノックをこなすおっさんたち。カットプレーのためにノッカーがわざとフェンス近くに打つ球を外野手、内野手がともに追いかけて「バックホーム!」。
公園事務所でシャワーを浴びて新三田駅近くのスタバに。アイスコーヒーがゴクゴク喉を流れて、池永 陽作「おっさんたちの黄昏商店街」(潮文庫)を伴として約2時間を過ごす。ただ「野球が好き」で集う還暦・古希野球。純粋。希望と人情にあふれていた昭和の時代。金と欲に毒されていなかった時代の物語。この二つの道を歩む喜びを感じた休日だった。東京五輪と正反対の世界。
東京五輪の開会式を垣間見た。ビートたけしではないが、「恥ずかしい」と思った。作曲家の三枝成彰氏いわく、「オリンピックをやって支持率を回復させ、政権維持をもくろむ政府が代理店(電通?)に丸投げした大会」。同時に、ロンドン五輪では英国を代表するサイモン・ラトル氏が演奏し、北京五輪では国際的な監督、チャン・イーモン氏が演出を手掛けたことと比較して日本の知性低下を嘆いている。(日刊ゲンダイDIGITAL7月24日)
大会関係者の新型コロナ感染は123人を超えた。不適切発言で役員・関係者4人が辞任した。残念なことはこの時期の五輪開催についてスポーツ選手からの声がなかなか聞こえてこない現実がある。完全に「政治利用されるスポーツ選手たち」。情けないと怒っていたら、元ラグビー日本代表の平尾 剛教授(神戸親和女子大)がスパッと言ってくれた。
スポーツ選手も「社会に生きる人間としての責務」があるぞと。誘致に際してIOCの裏金疑惑もあった。新国立競技場建設時の現場監督過労自殺もあった(平尾氏)。新型コロナ禍で世界ではすでに400万人の人命が失われている。人類が感染症とたたかっているこういうときに東京五輪はやるべきではないと明言できるスポーツ選手はいないのか、とわたしも思う。これには長期的スパンでの新しい「スポーツ教育」が必要だ。平尾氏は「学校部活動の根本的な見直し」も必要だと語っている。
長嶋茂雄、王 貞治、松井秀喜、そして聖火最終ランナーの大坂なおみ各氏の姿に違和感を感じたのはわたしだけだろうか?うまく利用されてるなと。彼らは素晴らしい存在だ。東京オリンピックに出場している選手たちもメダルに関係なく、全員が素晴らしい存在だ。彼らへのリスペクトがないオリンピック。一部の人たちの金もうけや利権のためのオリンピック。これを機にスポーツ離れの人々が増えていくのではないだろうか。
わたしは還暦・古希野球の現場で、メンバーとともに「スポーツの本質」を体現したいと強く思うのです。
(写真:1964.10.10 東京 観客がいてこそのオリンピック)
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