躍動するシニアを記録に残す
自分の中で新しい動きが始まった。Facebookを開始して以来触っていなかった(触る方法を知らなかった)カバー写真を変更した。カバーに「THE BOYS OF SUMMER」(ロジャー・カーン著)を挿入したのだ。自分の原点に戻っての新しい出発が現実のものとなってきた。
去る8月17日にリモートではあったが、ラジオ関西の生放送に出演させてもらった。障害者事業所の代表としての立場だったが、何とか無難にこなせたと勝手に解釈して自信を持った。単純であり自己中心思考。ラジオに接した瞬間、ある思いがパッとひらめいた。「そうだ、これからはシニアの活躍を発表しよう」と。
1990年夏、初の大リーグ観戦の際、あるマスコミ関係者は「彼を使ったら面白いかも」といった。2004年の秋、フロリダ州ベロビーチのドジャータウンでわたしはハリウッドの映画関係者(ディレクターと名乗った)からオファーを受けた。その人物はマウンドで勝利に歓喜するわたしに「I like you」と呼び掛けた。自信過剰と笑われる話ではあるが、取材をし、書き、語ることを仕事にしたい欲求はかなり以前から胸の中で、くすぶっていたと思えるのだ。
ついにそのときがやってきた。これからは日本の各地で躍動するシニアを取材して、書いて、発信して、それでもって中高年にもう一度前を向いて生きる勇気を提供したい。いわば昔に果たせなかった一つの夢を人生の最終章として追いかけてみようではないかと決心した次第である。その夢の原点がアメリカ野球の世界だった。
はじめてアメリカの野球に触れたのは雑誌「野球少年」が始まりだった。小学校4年生頃ではなかったか。小学校に向かう交差点の一角に一軒の貸本屋があって、おばあさんが店番をしていた。入り口には「にあんちゃん」の映画ポスターも貼ってあった。貸本屋は田舎で唯一文化の香りを発信していたが、岡崎武志の「上京する文学」(ちくま文庫)には、「貸本屋の再生は昭和三十年代半ば。全国に約三万件がひしめいていた」とある。その一軒で、わたしは野球への情熱を植え付けられて、草野球からアメリカへと旅立った。
岡崎武志の著書には「昭和三十年代の匂い」(ちくま文庫)もあって、団塊の世代には郷愁に満ちた内容を持っている。同時代を生きた人たちが今はどのような夢をもって輝いているだろうか。それを書いていきたいのだ、わたしは。「断捨離や終活は後ろ向きの感じがする。それよりも、少しでも未知というか新しい日々を過ごす方が楽しいのではないか」(坪内 稔典)という薦めに素直に従って。
障害者事業所の理事長職に一区切りがついて、よい後継者がさらにりっぱな組織に成長させてくれるめどがたった今、わたしの前に「(ライター、古希野球選手として)新しい日々を過ごす楽しみ」が迫ってきていると感じるのだ。取材を本格化させるにはしばらく時間が必要だが、このAmeba ブログを専門家に見てもらう予定も含めて、今日から準備を進めたいと思っている。
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