「オレの若いころを書いてくれないか」

 第1回エコボール杯硬式野球交流大会の模様は9月26日(日)の神戸新聞北播版に紹介されたので、ご存じの方も多いと思う。障害福祉事業所で再生されたボールをエコボールと呼んでいる。プロ野球OBクラブも支援している取り組みである。学校の部活動を終えた夏から硬式野球のクラブ活動を展開する西脇・多可硬式野球クラブシャイン(岡本正己監督)が、西脇市まちづくり補助金を活用して主催した第一回大会で、6チームが参加した。

 その大会を「神戸審判倶楽部」が盛り上げてくれた。元プロや現在も阪神2軍の試合を担当する人など5人の侍が西脇市へやってきた。二台の車に分乗し、ピカピカに磨いたプロテクターを身に着け、自前で飲み物を持参する姿勢はまさに「プロ集団」。審判に人生をかけている誇り高い人たちだった。そのメインはこの人、福井 宏さん。

 がっちりした体格、響きわたる張りのある声、自称「77歳」は元気そのもの。バックネット裏で保護者や中学生を相手に野球ルールについて熱弁をふるったり、3塁塁審の保護者に寄り添って技術を伝授したりと、所狭しと大活躍。大会の始球式も務めた。たまには若いお母さん方に楽しそうに話しかける場面もあって、すべてに年齢を感じさせないエネルギッシュさだった。

 NPB(日本プロ野球機構)通算3,359試合出場は歴代6位である。衣笠選手(広島東洋カープ)の連続試合世界記録達成時や江川 卓のデビュー戦主審など、日本シリーズ10回、オールスター5回の出場を誇る。審判生活最後の4年間は台湾で活動したが、引退後も四国、関西の独立リーグ等でグランドに立っているから3,830試合に出場しているといわれる。1938年佐賀県伊万里市生まれの福井さんは、審判活動の傍ら、還暦・古希野球の選手としてプレーし、例年兵庫県マスターズ陸上競技大会の100mに出場する元気さである。

 自らの著書としては「マスク越しから見た野球人生」があり、高名な作家・赤瀬川 準(しゅん)の小説「影のプレーヤー」のモデルでもある。作家は「銀行員出身で草野球もやっていた」福井に親近感をもって後楽園球場のナイター後、彼を取材して書いたのが「影のプレーヤー」(文春文庫)だった。「眼が輝き、声に張りがあり、小柄ながら引き締まった体躯が印象に残った」と書いている。

 その福井 宏さんがつぶやいた。「オレの若いころを、今じゃないよ、昔のオレを、先生に書いてほしいなあ」。伊万里商業高校時代、夢に見た甲子園出場の夢は果たせなかった。社会人クラブ時代もあと一歩で都市対抗野球(後楽園)出場がかなわなかったと聞く。だから甲子園球場1丁目に自宅を構えた。2021年9月25日午後、西脇市黒田庄町の「ふれあいスタジアム」で元セ・リーグ審判副部長の次の言葉を耳にしたとき、「福井さんの若いころを書こう、書かせてもらおう」と思った。それは九州人の深い思いが詰まったようなセリフだった。

 「関門海峡を一度超えたかったんだよ」

 そこへ一人の中学生が寄ってきて、福井に話しかけた。「審判になるのが夢なんです」。童顔を輝かせて、N中学校野球部キャプテン、生徒会長のT君が「身長は175cmないとだめですよねぇ」と博識を披露した。「もっと食べて大きな体になること、できれば大学へも進学するといい」とアドバイスする元プロの「おじいさん」。審判の普及活動が実っているようだ。若者に夢を与えている。わたしはそのとき、T君に文春文庫を一冊プレゼントしようと思った。受験勉強の邪魔にならないように気をつけながら。これから福井さんに会う機会が増えるだろう。

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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