イチローとわたし、古巣に凱旋!?
♪ふたりを 夕闇がつつむ~思わず鼻歌がでる。4月20日早朝、西脇から三田へ、7年間通った道を2年ぶりに辿りながら加山雄三よろしく「ボカァ 幸せだなあ」とつぶやくわたしだった。
かつてのチームメイトと対戦する喜び。久々に出会う懐かしい人々への哀惜の情。「こんな感動をいただいて、ボカァ本当に幸せだ」。三田谷公園につく。小雪ぱらつく2月の寒さ、うだるような夏の太陽、木々が紅葉する秋の一日、還暦野球の練習にいそしんだ日々。7年前の三田プリンスは15名程度の弱小チームだった。それが今では昨年、一昨年と兵庫県のリーグ戦で優勝し、全国大会の常連となっている。
グランドでかつての先輩や後輩に挨拶をする。「竹本さんが来るのでみんな楽しみにしていますよ」なんて舞い上がるような言葉もいただく。スタンドには古希野球の人たちが応援に来ていて、毎試合ブルペンで球を受けてくれたKさん、審判のMさん、チームリーダーだった知的なMさんなどの顔が目に飛び込む。Tさんは3塁側ベンチ前で迎えてくれた。「アンタが来るので足の調子が悪いけど見にきたで」。Tさんは2年前、わたしが三田を去る決意を表明したときにわざわざ西脇市黒田庄町の山奥まで車を走らせてくれた人物だ。
わたしの後を引き継いでくれた好投手K、強肩捕手のM、1塁は監督のM(スキーが趣味)、セカンドは元市役所野球部のA、サードはともに西日本大会ベスト8を勝ち取ったときに4番打者S,レフトは俊足のK(酒が苦手)、センターはすばらしい1番打者のM,ライトは愛すべき人物Yといった皆さん。野球の中身で恩返しをしなければと思った。
わたしは2イニングを投げた。拙守もあって初回に2点献上。2回は0点。小さいカーブをサード横とセンター前にゴロのヒットを打たれたが、ストレートは打たれなかった。1塁側ベンチの声がマウンドまで届いた。「球が伸びている!」
レフトの守備で左中間の低いライナーをわたしがランニングキャッチしたときは三田のスタンドにいる人達が立ち上がって拍手をしてくれた。1打席目にライト前ヒットも打てた。投げて速球健在ぶりを披露でき、打って守って存在感のあるプレーも見せることが出来た。帰路の車中はさわやかな気分に包まれた。
三田のエースKさんはメールで言ってくれる。「先輩の情熱的な投球は勉強になりました」と。そこでわたしは舞い上がる。「やはりわたしは還暦野球、古希野球の希望の星でなきゃ。皆が目標とする投手として投げ続けなきゃ」。幸せな男。
アメリカ時間の4月19日のこと、ワシントン州シアトルではイチロー選手が3年ぶりに凱旋していた。セーフィコフィールドは歓迎ムード一色。千両役者のイチロ-選手は3連戦の最終打席でホームランを打って観衆の好意に応えたという。
スポーツは人生を豊かにする。レベルや場所は違っても、三田谷でのひとときはわたしの野球への情熱を高めてくれた。まさしく、自分の中でわたしは「イチロー」だった。もっと練習して速球を維持し、若い人たち(60過ぎて若いもないが)の目標となりたい。70歳を迎えたら古希野球に参加して、生涯投げ続けようではないか。新たな目標を見出した三田遠征だった。
もちろん、認めていただけるなら、古希野球は三田プリンスに入る。その際には頭がさらにピカッているだろうKさんにブルペンで受けてもらいたいと思う。人生を感じるね。
試合後は三田市民病院に入院中の前監督Nさんを見舞った。一時は確執もあったが、離れると懐かしく、親愛感を覚える人である。Nさん、古希野球でお会いしましょう!また三田屋の肉を食べましょうか。
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