野球のタイブレーク発案者は誰か?

 ちょっとした記録が陽の目を見るときがくる。K新聞のM記者から電話をもらったとき、歴史の不思議さを感じた。M記者は電話口で言った。

 「高校野球がタイブレーク採用を検討し始めましたね。以前、あなたにお聞きしたときには記事にできなくて、今回はリベンジなんです」

 「震災復興野球10年の歩み~神戸から軟式野球の灯を消すな!」を出版したのは2005年1月17日。阪神・淡路大震災から10年を経た寒い季節の頃だった。わたしは本の86ページに、兵庫県軟式野球連盟(以下、全軟連)の指導審判員であり、三田市軟式野球連盟の立ち上げにも尽力した人物、三原勝己さんのことを書いている。

 全軟連以外にも港都連盟の企画部長を務め、三田市に関っていた三原さんは前神戸軟式野球連盟の初代理事長としても活躍した。組織の枠を超えて神戸の軟式野球を盛んにしようと努力した人物だった。その三原さん、なかなかのアイディアマンで、日本で最初に「あること」を発案している。

 1979(昭和54)年3月20日付の読売新聞「話のかけ橋」欄に紹介されている。題して「珍ルールで町野球」。サブタイトルは「早い決着、長嶋監督・王選手も賞賛」。「アマチュア野球はそのグループ独自のルールがあっていいんじゃないですか。野球では一死満塁がいちばんおもしろい。まして1回だけのプレーオフではきっと盛り上がるでしょう」(長嶋監督)。

 続いて王選手の談話。「みんなが野球を一生懸命楽しもうとしている姿勢がうれしいですね。せっかく試合をしてジャンケンではね。新ルールをつくった気持ちがよくわかります」。天下のONが注目した三原さん発案の「あること」とは、野球におけるタイブレークだったのだ。

 それは、一日に数試合を消化する軟式野球にとって「有効適切なアイディア」だった。現在ではタイブレークは日程の消化だけでなく、発達途上の高校球児の体を守る方策としても真剣に検討され始めたのだ。

 三原さんの発明はそれだけではなかった。「敬遠の四球は、監督が球審に通告して一球投げるだけで出塁できる」案も創っている。これもアメリカの大リーグで実際に採用されるとか。日本の三原アイディアは世界に先駆けて輝いている。

 K新聞のM記者によって三原さんの功績が顕彰されればうれしい。わたしが還暦野球三田プリンスに在籍し、三原さんとともに活動した故・松原三田軟式野球連盟会長に知己を得、K記者が三田市局に勤務されていた縁が結びついての三原さん顕彰。記事になる日が楽しみである。

 「還暦野球は地域の文化」である。野球をするだけではなくて、還暦野球は地域にどのように貢献できるのかを考える習慣が必要だと思う。わたしの拙著から歴史の扉があいたとしたら、これこそまさに「三原マジック」。空の上で自らのアイディアを笑っているかもしれない。

 

 


  

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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