初完封の意味するもの

 本日2017(平成29)年7月12日(水)。芦屋中央公園野球場。午前9時プレーボール。梅雨空はあくまで蒸し暑く、キャッチボールだけでも汗が噴き出る。68歳を迎える体にはけっしてやさしくはない。3試合を雨で流したあとに迎える公式戦だけに体全体がだるく感じられる。こんな日は投げ終えた試合後に身体が軽くなるのだ。

 日曜日には2~3キロのランニング。2日前(月)には自宅倉庫でウェイトトレーニング。筋肉を追いこむ。前日は職場前の芝生で短距離のダッシュを6~7本。素振りを30回。そしてネットに向かって全力で硬球を約30球投げ込む。そうやって水曜日の本番を迎えるのがわたしのルーティン。40年間継続しているコンディショニングの一端である。

 試合前夜は早めに床に就き(といっても熱帯夜なみの毎日)今日は午前5:30に起床。自宅出発が6:20。職場である「就労継続支援B型ドリームボール」で早朝出所の利用者さん(29歳の若者)にマスターキーを預けて中国自動車道の滝野社インターへ急ぐ。西宮北インターを経て芦屋に到着するのが8:05。途中のコンビニでコーヒーとドーナツ、水を購入して駐車場へ入る。

 激務の仕事をこなしながらのトレーニングである。試合が終わればすぐに西脇市黒田庄町へ引き返す。帰路は中国道の赤松パーキングでアイスコーヒーとコロッケを楽しむが、「オレは多忙なんだ、なんでそこまでして還暦野球なんや」と思わないでもないが、野球が好きなんだから仕方ない。

 監督がささやいた。「きょうはイニング限定なしでいけるところまでいってくれ」。今シーズンはいつも3イニング投げると交代してきた。新チームへの加入だから当然だろうと、わたしは大人の対応で黙々とプレーした(と、思っている)。われわれ三木オルゥェイズは2勝5敗、対する芦屋クリーンスターズは1勝6敗だから一見すると似通ったチーム力だが、三木の実力はもっと強いのだ。

 久々の試合、三木は燃えた。初回に3点、2回に1点、それからの得点経過は忘れた。投げることに集中していたから。追加点を重ねた三木は6回表で7点。6回裏も押さえて三木オルウェイズは3勝目をコールドゲームで飾ってしまった。固い内野の守り、効果的なタイムリー打の連続にベンチは盛り上がる。みんなの顔が弾けている。やはり勝利は必要だった。

 スコアをつけていた先輩が寄ってきて教えてくれた。「被安打2、四死球ゼロ、球数76」。いつも勝手しますと挨拶をして急いで着替えて車に乗った。職場が待っている。

 夙川の高級住宅地を走りながら快い疲労感に包まれていた。昨年末に教え子の本田明浩君(阪神タイガース職員・捕手)が教えてくれた新フォームがわたしにピタリはまって打たれる気がしない。歳を経て球が速くなっているとすら思える。チームに勝利もプレゼントできた。歌もとびだす心地良さ。勝利投手の味は最高で、きっと今夜のビールはうまいはず。

 野球の選手、とりわけピッチャーは、一つの勝利、一日の歓びのために何日の苦しさを味わうのか。仕事で疲れた体にムチを打つ。走る、投げる、ストレッチをする、食事も考える。それらすべてがいっぺんに吹き飛ぶのが、ひとつの勝利。

 6回の参考記録ながら、完封は投手の勲章だ。試合後芦屋のベンチを訪問して一人の紳士に挨拶をした。まさに紳士、気品があって顔つきがやさしい。自分とは遠い世界で成功された人。元高野連会長の脇村さんだった。

 「三田のときにお世話になった竹本です」(大学院時代の卒論で資料をいただいた)

 「ああ、長尾さんはお元気ですか。よろしくお伝えください」(長尾監督)

 高野連会長当時から、還暦野球、古希野球の会場でトンボを握る脇村さんの姿が見られたという。謙虚な紳士と会話を交えたことが勝利投手の歓びを倍増させてくれた。「死ぬ前にああいう人物に少しでも近づければ、とハンドル持つ手につぶやく中国道の帰路だった。

 

 


 

  

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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