アメリカの風が吹く

 ロサンゼルスに住む娘からLINEを通して連絡が入った。今朝の午前2時。「台風で飛行機が欠航、8日の夕刻到着予定が9日の午前に変更される」とのこと。荷物を詰め終えた直後にJALから連絡があったそうだ。「明日の早朝5時に空港へ行く」というから一歳半の孫がぐずらないかと心配する。娘と孫が1年ぶりにロサンゼルスのにおいを運んでくる。 

 LAの風と言えば日本時間の8月5日朝、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍したダルビッシュ有投手の初登板にも爽やかな風が吹いた。ドジャーブルーのユニフォームでニューヨーク・メッツを7回0封した彼のピッチングは素晴らしかったが、わたしにとってもっと愉しかったのはTVにうつるダグアウトの風景だった。

 ダルビッシュの横にドジャースの日本人トレーナー中島陽介さん(45)がいる。彼と初めて会ったのは2004年の11月、ベロビーチ(フロリダ)のドジャータウン(当時)だった。「来年から正式にドジャース職員となります」。ラウンジでバドライトを飲みながら彼は微笑んだ。中央大学を経て1995年に渡米。カリフォルニア州立大ロングビーチ校で用具係や洗濯などの雑用をこなし、ドジャースのマイナーリーグへ採用されたのが2005年のシーズンだったから、わたしが会ったときはまだ無給のインターンだった。昨年の6月にドジャースタジアムを見学したときは中島さんがベンチ前で迎えてくれて写真を撮ったが,苦節11年目に彼は夢をかなえてメジャーリーグのトレーナーになった。

 想えばながい年月が過ぎたものだ。わたしのアメリカとの出会いは1990年8月の大リーグ・ツアー、当時40歳。パ・リーグ広報部長(当時)だった伊東一雄(パンチョ)さん一行に同行してシカゴ、カンザスシティ、ミネアポリス、シアトルで各2試合観戦したのが異国初体験。もう28年が経った。そのとき国際電話をかけてきた娘は翌春高校の英語科へ進学し、高3時にシアトル(ワシントン州)近郊のウドゥンヴィル・ハイスクールへ留学したのだった。そして今はアメリカに住む。

 わたしはこの秋、アリゾナで野球をすることになっている。30年の歴史を誇るMSBL(メンズ・シニア・ベースボールリーグ)のWORLD SERIESに誘われたのだ。18歳から70歳上のクラス(計10クラス)で全米選手権を実施する。「#60+ Wood Bat」(60歳以上で木のバットを使用)がわたしの出場するクラスだ。「逆助っ人」として日本人選手の優秀さを披露したいものだ。こんな夢があるから日々元気に生きられるというもの。

 野球とアメリカが人生を豊かにしてくれることだけは確かなようだ。明日は関西空港で娘と孫にロサンゼルスのにおいを感じることだろう。

 

 


 


 

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