西脇市と吉永小百合
「ドリームボール」は障害者の就労支援事業所である。働き続けて腰や首、あるいは目を悪くした中高年や、若くして精神を疲れさせた若者たちが羽を休め、再び社会へはばたくための準備をしている場所である。
そのドリームボールに1枚の写真が飾られている。19歳の吉永小百合である。きりっと前向きな中にもはにかんだような笑顔。スター気取りがなく両手の指を軽く合わせたしぐさに謙虚な気持ちが読み取れる。化粧気はなくスッピン。何より撮影者やその場に居合わせた人たちへの安心感と信頼の深さが感じられるスナップである。
写真の中の吉永小百合は半世紀にわたってわたしの机を飾り続けてきた。あまりの清楚な美しさに見飽きることなく50年、わたしは彼女の笑顔にモナリザ以上の価値を感じている。「この表情はどこからうまれたのだろう?」
神戸新聞社は「私の十本」と題した吉永小百合の回想録を掲載している。8月22日(火)のテーマは~「女・笠智衆」になりたい~。骨肉種のために若くして逝った大島みち子さんの人生と純愛を描いた映画「愛と死を見つめて」(1964年)で父親役を演じたのが小津安二郎作品で有名だった笠智衆。
吉永は語る。「絶望的な状況に耐え、けなげに振る舞う娘。父親はその心情を思い、胸が張り裂けそうになる。この作品での笠さんの印象は強烈でしたね。それ以来、せりふがなくても、たとえ背中だけでも、いろんなことが表現できるような俳優に究極的にはなりたい」。映画「愛と死を見つめて」で出会った彼のように「女・笠智衆になりたいというと山田洋二監督が笑う」のだそうだ。
吉永小百合にとって、映画「愛と死を見つめて」は名優たちとの出会いとともに「原作者の大島みち子さんの遺族との出会いもあった」。「撮影終了後、しばらくして、西脇市のみち子さんの実家を訪ねる機会があったんです。お父さん、お母さん、妹さんが歓迎してくださって、『今日一日、みち子になってください』とおっしゃって、みち子さんのかすりの着物を着せていただき、ご一緒に過ごしました。みち子さんのお部屋で一泊し、翌日は妹さんと2人で加古川の土手を散歩。映画の中でも歌った西脇高校の校歌を歌いました。忘れられない思い出です」。
「若きいのちの日記~愛と死の記録~」(大島みち子)にはこんな一節がある。
「病院の外に、健康な日を三日下さい。
一日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。そして、おじいちゃんの肩をたたいて、それから母と台所に立ちましょう。おいしいサラダを作って父にアツカンを一本つけて、妹たちと楽しい食卓を囲みましょう。
二日目、私は貴方の所へ飛んでいきたい。貴方と遊びたいなんて言いません。おへやをお掃除してあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしいお料理を作ってあげたいの。そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてね。
三日目、私はひとりぽっちで思い出と遊びます。そして静かに一日が過ぎたら、三日間の健康ありがとう、と笑って永遠の眠りにつくでしょう」
吉永小百合はみち子さんの着物を着て、娘のように西脇市小坂町に一泊し、妹のK子さんと西脇中学校につながる土手を散策して西脇高校の校歌を歌ったのだった。そのときに撮影したのがわたしの机上を50年間飾り続けた1枚の写真である。東京でオリンピックが開催された昭和39年、木造校舎の下駄箱付近で同級生だったみち子さんの妹Kさんが、「タケちゃん、吉永小百合のファンやろ?」と渡してくれた。
吉永小百合の慈愛に満ちた美しい1枚はこういった背景から生まれた。西脇市を舞台とした名女優の物語。一市民として、忘れられない誇りある記事だった。
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