第9回西脇市議会議場開放講演会

 2017年8月10日、東京富士大学卓球部監督の西村卓二氏を迎えての議場開放講演会が西脇市で開催された。アテネ五輪の女子卓球監督として福原 愛選手たちを指導した西村監督は西脇市黒田庄町(合併前は多可郡黒田庄町)の出身である。

 先日、西脇市は東京オリンピックの事前合宿地に決定した。オーストラリア卓球チームがやって来る。その立役者が西村監督であることは周知の事実となっている。彼なくしては実現しなかった成果である。講演のテーマは「目指せ!2020」。

 だが90分の講演時間の中で監督が来たるべき2020年に触れたのは最後の十数分間だった。西村監督は卓球の歴史や競技の特性、あるいはコーチとしての言葉かけについて丁寧に説明していった。障害者選手との出会いについても語った。そして東京オリ・パラを迎える西脇市についても短く。

 実直、誠実。西村監督は大言壮語の人物ではない。西脇市の行政に関する内容は自分の範囲でないことを知っていたと思える。「2020年以降も経済交流、文化交流等を継続していく視野で取り組んでほしい」と述べたにとどまった。西脇市長に「すぐにオーストラリアへ飛び、オリンピック以後の交流も含めて交渉されるべきです」と薦めた監督の動きを耳にしていただけに、西村監督らしい「最後の十数分」だった。

 西村卓二さんは6歳まで黒田庄町船町で育った。その後家庭の事情で富山へ引っ越した。友だちが出来ずに元気がない息子の姿に母は、地域で盛んな卓球に親しめば友人もできるだろうとラケットを買い与え、その母のプレゼントが彼の人生を変えたのだった。

 東京は高田馬場で監督と食事を共にした人物が教えてくれた。「あの人は熱い人です」と。垣間見た西村さんの携帯の待ち受け画面には自然豊かな黒田庄町船町の風景が映っていたという。ことあるごとに父母が故郷の想い出話をしていたのだろうか。両親が大切に思う懐かしの地を彼は今も大切にしている。アテネ五輪の直前、船町の田園を歩く西村全日本監督の姿が親族によって目撃されている。

 「わたしは、人生において迷ったとき、大きな決断を迫られたときには必ず黒田庄へ帰ります」。そんな熱い男が全力で取り組み、実現させた東京五輪事前合宿。西脇市は市長を先頭に全力で市民への周知活動を推進してほしいものだ。それこそが自らの苦労を語ろうとしない西村監督に応える西脇市のお礼ではないだろうか。

 それにしても議場は厳かな雰囲気がある。選ばれた者だけが入場を許される場だ。講演会場となった一階席には知的で正装の男女。二階席には市の幹部や一般職員が多数。一般市民の生活感覚とは相いれない側面もあるような議場。それだけに議員さんや市の職員さんは庶民の目線に立つための努力を欠かさない。

 西村監督は言った。「わたしは現場主義」。卓球指導歴40年を通じて「私が自分に言い聞かせる事、それは現場主義を貫くことだ」と。現場主義。この夜、すばらしい議場に居合わせた人たちが「現場主義」を大切にすれば西脇市もさらによくなるのにと想いながら退場していると講師の西村監督とバッタリ。力強い握手をいただいた。

 東京では西村卓二指導者歴40周年を祝うパーティが企画されているとか。西脇市からもたくさんの参加があるのだろう。 

 

 

 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

0コメント

  • 1000 / 1000