価値ある野球がしたい
正確には「自分にとって価値ある野球がしたい」という気持ちが強くなってきた。年齢のせいかもしれないが。
今シーズンの何か月かは還暦野球に参加した。だがどうもしっくりこない、楽しくないのだ。2009年から7年間所属した三田プリンスでの野球は、葛藤もありながら総じて楽しい野球が出来た。練習や試合の後、監督やメンバーと昼食をともにしたり、ドーナツ店で野球談議を重ねたり。
そこでは明確な目標があった。参加当時の三田プリンスはけっして強くはなく、練習時には14~15人の参加が精いっぱいのチームだった(現在では50名とか)。シーズン成績5割にも満たないチームを県下16チーム(当時・現在は19)のトップにしたいと思った。全員がその目標に向かって進んでいたから楽しかった。そして2015年、三田は初優勝を飾った。弱いチームを強くする。野球人として大いにやりがいのある「価値ある」挑戦だったといえる。
三田プリンスの指導陣は行政や新聞社等とも交流を深め、還暦野球が地域貢献できる方策を探ってきた。社会性や何らかの価値観が付加された野球を追及していたから楽しかったともいえる。今は勝った負けた、勝率がいくら、そういう野球に魅力を感じられない自分がいる。きっと年齢のせいだ。
ここにも価値ある野球。今日は加東市東条町グランドで中学生相手の打撃投手を楽しんだ。昔の教え子が監督を務める兵庫三木リトルシニアの練習に参加させてもらったのだ。中学校1,2年生相手の打撃投手。もちろん硬球を投げる。ピッチャーズ・プレートの1メートル前(正規の距離18.44mでは球が遅すぎる)から約10人×5打席。一人平均3球とすれば150球前後を投げることになる。
鍛え始めた下級生相手なら互いの力関係がちょうどいい。監督の言い分はちょっと異なるが。「先生の球なら選手に自信がつくからな」と、まるでかつての教師をサンドバッグ状態のように言う。まあこちらも反論できる程の投球内容ではないが、かわいい中学生相手の投球は本当に楽しい。投げる喜びを感じる。自分のおじいさんど同年齢のピッチャー相手に野球をする気持ちってどんなかな?おじいさんは必死に投げる。流れる汗、掘れる土の感触、さわやかさを運ぶ秋の風。打たれる快感。サンドバッグも中学生の役に立つのだ。
そんなわたしは、10月末から11月にかけてアリゾナへ飛び、全米の年齢別ワールド・シリーズに参加する。メジャー・リーガーが春のキャンプで使用するスタジアムで4日間に6試合を消化する。勝てばプレーオフやファイナル(決勝戦)が待つ。天然芝の美しい球場、快適なホテル生活、国際交流。これらは自分にとって最高に「価値ある野球」である。
まだまだ野球あるある。来シーズンからは古希野球(70歳以上)に練習生として参加して2019年からの古希本格デビューに備える。三田からはこんな声も聞かれる。「君が来て、またいっしょに野球がやれるなら寿命が延びるわ」。そんな人たちと「人生最後の野球」を楽しむ。これまた最高の「価値ある野球」ではないか。
これを聞いた女房、「アンタは自分勝手やなあ」と。チームを替わり、アメリカへ行き、好き勝手やわと冷笑した。反論したい。メジャーリーガーならトレードは日常茶飯事。楽しい野球が出来るなら地球の裏側なんか近いものだ。「オレの野球にはボーダー(国境)はないのだ」と。もちろん口には出せないが。
中学生相手に100球を超えて硬球を投げた日は最高に心地良い。からだが引き締まる。食欲が湧く。ビールが飲みたくなる。だからいつまでも野球がやめられないのだ。三木シニアの存在に頭を下げた初秋の休日。野球オヤジの独り言。
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