充実の老後へ・・・

 8月はロサンゼルスから娘と孫(一歳半)が帰国して3週間をともに過ごした。お盆には長男の孫が「食べ初め」だったので東京の次男も合流して名古屋で久々に家族が揃った。仕事では障害福祉事業所「B型ドリームボール」の利用者、スタッフがこれまた家族のような結びつきの中で忙しくも充実した日々が過ぎていく。裕福ではないが、喜ばなくてはいけないと思う夏だった。

 そんなわたしは1月に表舞台から隠退すると決心をした。西脇・多可の中学生硬式野球クラブの運営は後継者に譲ったし、フェイスブックの更新もながらく行っていない。在る年齢に達すると公職を退き、後継者に譲るべき、というのが私の持論だから、組織が硬直化する前に引退した次第である。

 「人生今からと思ってがんばります」。60歳代の意気ごみはわかる。大いに頑張らねばならないとわたしも同感するのだが、個人が若々しい気持ちで人生のいろんなことに挑戦することと、公職に留まってがんばることはちょっと違うと思うのだ。あくまで持論。というわけで、すべての社会的活動から隠退したわたしは個人的な挑戦に乗り出す。

 来たぞ。「MSBL  1988~2017  30周年 ワールドシリーズ」。アメリカからメールが届く。「この大会はレベルが高い、君もぜひ参加してはどうか」と野球ともだち(というより人生の友?)の日系三世 Brad Setoさんから誘われていた。それが今秋実現の運びとなった。凄い日程だ。

 2017 Dates:October 14 - November 5     

   WEEK #1     10月14~20   70+ 50+ 35+ 18+

 WEEK#2      10月21~26    55+ 65+ 74+ 40+ Father - Son Division

   WEEK#3       10月30~11/4 45+ 60+ 25+ (太字がわたしのクラス)

 約20日間、MLB(大リーグ)のキャンプ施設を使用して10台から70歳代の野球愛好家がアリゾナ州フェニックスやメサに集まって、4日間で6試合を実施して全米チャンピオンを争う。全米規模なのに彼らはいつもワールド・シリーズと呼称するのだが。

 10月27日(金)からロサンゼルスに2泊してヴェニスビーチでのランニング、キャッチボール、ウェイトトレーニングなどをこなして29(日)の朝、フェニックス・スカイハーバー国際空港へ向かう。そこからテンピを経てメサへ。ホテルは ハイアットプレイスフェニックスメサ。英語が理解できない身で数日間のホテル生活はちょっとつらいような気もするが。

 メールには日曜日午後の練習について説明がある。3:45~5:15に、Fhoenix Tempe Diablo Complex field#2  に集合。これはロサンゼルス・エンジェルスのキャンプ地だ。その第2球場で、「サイン、ピックオフプレーなどの重要な練習を行う」らしい。天然芝のすばらしいスタジアムに違いない。新しいスパイクで基本に忠実な日本人らしさを発揮するか。

  野球をしてクタクタになってホテルへ帰る。何しろ4日間で6試合だ。勝てばさらにプレーオフ、ファイナルと連日ゲームが待つ。快い疲労感に包まれてシャワーを浴びてビールをグイと飲み干し、「ああ、しあわせだなあ」とつぶやけるアリゾナに、はたしてなるだろうか。

 投げるチャンスがもらえない。投げても打たれて敗戦投手。打ってはパワー不足で役に立たず。おまけに肉離れなど起こして・・・。という事態が待っているかもわからない。けれどそんな自分もいいと思う。アアメリカ人に交じって青空と天然芝の緑の上でキャッチボールが出来るだけで68歳の一コマとしては最高のものだろう。

 往復航空券はマイルによる特典航空券で無料なり。ロサンゼルスの宿泊先は娘のところ。参加費は3万円。ロサンゼルスからファニックスの往復は約3万円。あとは小遣いとホテル代。なんとかギリギリまかなえるかなと。夢は中年を救う。努力の継続は夢を呼ぶ。

 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

0コメント

  • 1000 / 1000