追悼 水島新司 様
漫画家の水島新司先生の訃報が流れた。1月10日、肺炎のため死去。82歳だった。次々といい人たちが逝ってしまう。何とも寂しいことだ。
水島さんは18歳でデビュー、1970年に「男どアホウ甲子園」を発表後、「野球狂の詩」「ドカベン」「あぶさん」などをつぎつぎに発表していった。本日のネットでは王 貞治氏(ソフトバンク・ホークス会長)をはじめ、江川 卓(元巨人)、高橋 慶彦(元広島)氏など多くの方々が追悼のコメントを発している。やさしい人柄で多くの人々に好かれていたことが伝わってくる。
そのような素晴らしい先生と、人生のちょっとした時期に交われたことをあらためて感謝している。わたしの後輩にそれはそれは型破りな、とてつもなく面白い男がいた。高校時代は甲子園の土も踏んだ「野球バカ」。その名は「H」。あるときH君が織物商社の東京勤務となったから大変。すぐに「たけし軍団」のメンバーに気に入られ、やがては水島さんの持つチーム「あぶさん」や「ボッツ」に加入することとなった。そして彼はことあるごとにわたしを東京へ誘ってくれた。
1990年の夏、明日からパンチョ(伊東一雄さん)一行と大リーグ観戦に出かけるという夜、H君とわたしはJR信濃町駅付近の居酒屋で「井手らっきょ」さんとお酒を飲んだ。らっきょさんは「遊び人ですね」とわたしに笑いかけた。H君はその後、多摩川河川敷の元日本ハム練習場へわたしを連れて行った。水島新司さんの「ボッツ」対パ・リーグ審判団との一戦だった。野球場から新丸子駅付近を走る東横線の列車が見えて、田舎者は興奮したものだった。
負けた方が食事代を負担する。ボッツは勝った。悔しがる審判団へ水島さんのあいさつ。「みなさんのおかげで、わがダイエー・ホークスは昨シーズン良い成績を上げることができました」と。一同大爆笑。水島さんとの二度目の野球は神宮外苑軟式野球場だった。試合後に球場横のレストランでコーヒーを飲んでいるとエンピツを手に取ってサラサラと漫画の主人公を描いてくれた。先生のかわいがるH君の頼みに応えた1枚の絵。今はわたしの書斎を飾っている。
水島さんは縁ができるとその人を漫画に登場させた。かのH君は「ドカベン」に実名で登場して「酒屋のぼん」。それだけで先生と後輩の信頼関係が伝わってきた。「うらやましい」と思っていたら、「せんせいも登場したで!」(H君からの電話)。急いでページをめくったら、西武ライオンズの女性職員の名が「竹本さん」だった。これは親しさの差。そうして後輩とわたしは東京で行動を共にすると必ず四谷三丁目の「居酒屋あぶさん」で飲んだ。店長さんが笑顔で迎えてくれて、野球一色の店はわたしのお上りさん気分を満足させてくれたものだった。
時代は過ぎて、水島新司先生は惜しまれつつ世を去った。だが先生との思い出は、写真と漫画の中にこれからも生き続けます。お酒は飲まず、いつもやさしい笑顔を浮かべていた先生、ありがとうございました。先生、あの神宮外苑も3年後には軟式野球場が取り壊されるとか。さみしくなりますね。合掌。
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2022.01.18 01:15