アリゾナ野球の旅(その1)

 去る10月27日(金)~11月8日(水)まで、わたしはベースボールの旅に出た。海外旅行に感傷を持ち込まず淡々として飛行機に乗り込もうと決めて旅に出た。

 昨年6月もロサンゼルスを往復し、野球のゲームにも参加したから体力、気力には自信がある。だが今回は約5日~6日間連続して野球をすることになるからちょっと不安だった。

 2004年の秋、わたしはドジャータウン(当時)の大人のキャンプに参加するため、単身関西空港からフロリダの玄関口オーランドへ向かい(確かデトロイトあたりで乗り継ぎがあったはず)、空港職員に語りかけてラキンタ・ホテルに宿泊をした。翌日、ドジャースのロゴが入ったワゴン車がやってきて、英語のできないわたしは運転手とたった二人で約2時間のドライブをしたのだった。

 大リーグのレジェンドと讃えられる名投手、ペドロ・マルチネス(ドミニカ出身)は自伝の中ではじめてアメリカの地を踏む様子を語っている。ドジャースのドミニカ・アカデミーでその素質を見出され、仲間とともに「フロリダ州ベロビーチのドジャータウン」へ向かった。1990年の3月下旬のこと。こんな一節がある。

 「マイアミ国際空港から真北にあるドジャータウンまでは、車で二時間半の距離だ。球団は青のドジャース・ロゴが描かれたミニバンで僕たちを迎えに来てくれた」

 ペドロに遅れること14年、わたしは名投手と同じミニバンでベロビーチに運ばれたのかも知れない。そう考えることは愉しい空想ではないか。また1990年といえばわたしが初めてアメリカを訪問し、故伊東一雄さん(通称パンチョ)一行の「大リーグ・ツアー」に同行した記念の年である。10日間でシカゴ、カンザスシティ、ミネアポリス、シアトルを巡るツアーはグラウンド、ロッカールームを自由に見学できるVIP待遇の贅沢さだった。今もパンチョに感謝の想いを抱いている。

 2004年当時は投げるたびに球が走った。55歳だった。それから13年が経過している。68歳となった日本人還暦野球選手は、アメリカの60~62,3歳のパワフルな男たちを相手に果たして通用するのだろうか?一抹の不安材料だった。

 まずは時差ボケ解消と疲労除去のためにロサンゼルスで2泊した。折りしもアメリカはハッピー・ハロウィンの真っ最中。公園ではカボチャのおもちゃを前に親子連れが仮想姿で楽しんでいる。ここはロサンゼルスのMarina del Lay。わたしの「アリゾナ野球の旅」が始まった。




 

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