日本体育大学の英断

 正直、最近のスポーツ界には失望していた。いや今も期待感は薄い。新型コロナ禍でたくさんの死亡者が出ていても東京オリンピック開催に無批判で、しかも「わたしたちががんばって国民に勇気を」的発言のオンパレード。「もうちょっと社会的な常識を持てよ」といいたいことが多かった。

 ある恩師は高校教師として陸上競技の指導において大きな成果を出していたが、周囲の人間が狭い世界で増長する姿に辟易し、スポーツから離れていった。医学博士の称号を取得して別の道へ進んだ。思いは若干異なってはいても、わたしには恩師の嘆きが理解できた。こうしてわたしにはスポーツがスポーツとして社会的役割を果たすことの意味を考える日々が続いていった。

 そこへロシアによるウクライナへの侵攻。スポーツ界はとりたてて無発言。と思いしや、ちょっとうれしい動きがあったのだ。3月7日付で日本体育大学が石井隆憲学長名でメッセージを発表したという。ちょっと紹介しよう。

 「日本体育大学は、戦時下における過去の重い歴史を教訓とし、世界の平和と民族の友好のためにスポーツを通じて様々な活動をしてきました」。「ウクライナへの軍事侵攻は、本学のこれまでの活動とは相いれないものであり、暴力によって多くの人を傷つけ、命を奪い、心身の健康を脅かすものです。子ども達やスポーツに携わる者の未来を奪うことにもつながります」として即時の戦闘停止を求めている。

 これ、勇気がいったのだろうなと想像する。日本の保守的な空気の中、しかも中央、地方を問わずいろんな分野で「忖度」が流行する中での発言だ。日本体育大学に大きな拍手を送りたい。これはスポーツ離れの人々をつなぎとめる働きに直結するものだから。考えれば当たり前のことを言っていて、何年も前なら自民党の識者も同じ考えを表明すると思われる、至極当たり前の、常識的かつ中立的な発言である。

 スポーツ活動はやっぱり、世の中の健康や不平等、恵まれない人たちへの想いや平和への願いを内包するものであってほしいと願う人々は多いのではないか。それでこそ人間の世にスポーツが存在する意義がある。まちづくりに役立つツールとして認められる価値がある。スポーツは死なず!日本体育大学の英断に感謝したいものだ。


 







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