アリゾナ野球の旅(最終章)
長雨と右腰の張りが原因で練習不足のままアメリカへ赴いた。スパイクシューズの選択も誤った。三木シニアの中学生と対戦するときの状態ならもっといい球を投げられたはずなのだが、そうはならなかったアリゾナ。
理由はどうあれ、硬球で、正規のダイヤモンドで、60歳前半のアメリカ人たちと5日間連続して野球をするにはちょっぴり限界らしきものを感じた今回のアリゾナ。だが野球は愉しい。水曜日はピオリア。ここはイチローがプレーをしたマリナーズのキャンプ地だ。グランド整備の若者に「君はイチローを見たか?」と尋ねたら、誇らしげに胸を張ってその印象を語ってくれた。わたしは#6の野球場のライト方面に歩き写真を1枚撮った。
木曜日はシカゴカブスの施設で2イニングのチャンスをもらいながら2失点でなおも満塁のピンチを招いて降板。わがドジャースはこのゲームも落としてプレーオフへの道は絶たれた。The end 。皆はそれぞれのホームへ帰って行った。チームの役に立たなかった日本人に「プレジャー」(楽しかったで)また会おうと握手とハグの連続。この別れがたまらない。水曜日にはMSBLの大会誌(新聞)の一面にわたしの投球写真が掲載された。粋な計らいこそアメリカ流おもてなし?
1990年大リーグ観戦ツアー(シカゴ、カンザスシティ、ミネアポリス、シアトル)、1999年サンディエゴ、2004/2006ベロビーチ(フロリダ)、2010/2016ロサンゼルス、今回のアリゾナと重ねてきたわたしのアメリカ・ベースボールの旅。野球遍歴。ドジャース、エンジェルス、マリナーズ、カブスの施設でプレーした数少ない(唯一?)日本人となった。
木曜日午後4時、ユマのホテルを出発。世話をしてくれたサンタモニカの歯科医で日系三世のBrad Setoさんがハンドルを握るレンタルカーでフェニックスへ。ダウンタウンを巡りラーメンを食べた。ギョーザの味もまずまずだった。ダイヤモンド・バックスの開閉式スタジアムを間近に眺める。オリックスからFAとなった平野投手は来春このフェニックスをホームとする。
MLBを頂点とするアメリカのベースボールと、高校野球をそれとする日本野球との違いがよくわかる野球の旅でもあった。飛行機のトラブルでロサンゼルスに到着したのは真夜中近く。Setoさんご夫婦に礼を述べて別れる。「今夜はゆっくり眠れそうだ」
孤独で苦しい野球の戦いを終えて娘夫婦のマンションに帰りついたらそこは天国だった。ヴェニスビーチで孫と遊び、トーランスの日本居酒屋で冷酒と寿司を食べ、サンタカタリナ島を眺めるランチョパロスベルデスにある絶景のスタバでコーヒーを味わい、そして4日後、ロサンゼルス空港でサヨナラをした。ベビーカーを押す娘の後ろ姿がいつまでも消えなかった。
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