人生初の手術とリハビリ

 ハッピーが我が家へやってきたのは2002年頃だったか。そこから家族とともに生きて16年。子どもたちの人生とわたしたち夫婦の歩みをつぶさに観察してきた猫のハッピーは昨年暮れの12月12日未明にホームコタツの中で息を引き取った。動物は可愛がってくれた主の身代わりになるというがまさしくそんな想いがする愛猫の死だった。野良猫特有の人見知りもあったが、寒くなるとわたしの脚の上で気持ちよく眠った。可愛い猫だった。

 ハッピーの身代わりで「あんたの手術はうまくいくわ」と女房が言った。還暦やアメリカの野球で健康そのものといったわたしではあるが、ひとつ、前立腺肥大を患っていたのだ。2016年の夏、2週間のロサンゼルス旅行から帰国して(野球、ゴルフ、観光に動き回っていた)事業所のある西脇市黒田庄「ふれあいスタジアム」周辺をランニングするとからだがフラフラするではないか。「なんやこれ?」わたしには初の経験。血圧も高くなった。おまけに3年間服薬を辞めていた痛風が再発。1か月半にわたって足の痛みが続くことになる。67歳、最悪の夏。血圧が上昇すると本当に嫌な気分だと知った。

 通院すると尿の出が悪く、膀胱に残った尿から細菌が腎臓に逆流している腎盂腎炎だと診察された。そういえば頻尿だったり、尿を我慢できなかったり、症状はあったのだ。だが肥大を抑える薬を飲むとめまいがする。グランドに経つと奇妙な違和感がある。以後1年間、わたしは薬を断って1日5回の自己導尿(ペニスの先から管を入れて尿を出す)を行ってきたのだが、おかげで腎臓は1ヶ月で正常値になった。顔色もよくなり野球もバンバンできる体に戻った。

 しかしながら、自己導尿では前立腺肥大は緩和しない。面倒くさいし、根本的な解決にはならないと気付いたわたしはやっと1年越しで手術を決意。web上で検索すると手術のデメリット(尿漏れ、逆行性射精、インポテンツ?などなど)が出ている。まあ、年齢的にこんなのはしゃあないなと腹をくくることになったわけである。12月20日入院。21日午後3時に手術。加古川医療センターの玄関をくぐった。

 全身麻酔。背中からも麻酔の針。手術は2時間で終了。「うまく取れましたよ」とドクターの声。holep手術だった。人生初の入院、手術にわたしは無知過ぎた。手術後はナースステーション前の部屋で身動きできず、大きな点滴2本と血尿を眺めながら無言の一夜を過ごす羽目に。何と窮屈な。痛みはなかったが違和感は大きかった。翌日から歩行は可能だったが3日間は管が入ったままでおとなしくしなくてはいけない。困ったのは排尿時にひどい疼痛がおこること。クリスマスイブには「明日管が抜けなかったらアカン、耐えられない。頼む、明日管が抜けますように」とキリストに祈るくらいに。手術はそのあとが辛いと知った。

 老後の練習にと、孤独に過ごした1週間の入院生活は、先生方のスキルとやさしい看護師さんたちの介護によって順調に退院の日を迎えることが出来た。12月27日の午前10時だった。自分の車で西脇方面へ向かいながら、わたしは「社会復帰を果たしたぞ!」と叫んでいた。それほどの開放感に包まれたのだ。青空がひろがり「生きている!」と思った。世にもっと重病の人はいる。少しは遠慮もしないとと思いながら、喜んでしまった。途中三木でトイレへ行ったのに、術後の頻尿(傷が治るまで)で自宅近くまで帰っているのに我慢できなくなってハンドルを握りながら放尿。でも安心。しばらくは尿漏れがするのでオムツ着用中なのだ。抵抗感は消えた。オムツもいいものだ。

 健康を強調するのも還暦野球選手なら、加齢に伴う病気を克服し、厳しいリハビリを通じてカムバックする姿を披露するのも還暦選手ならではと思い、今回のコラムと相成った次第である。まだ血尿が残っている。本格的なトレーニングはおそらく1月最後の週からになるだろう。ウォーキング、ストレッチから始まり、2月からは軽いランニング、ウェイトトレ、ネットピッチングを重ね、本格的な復帰は3月になる予定である。

 今シーズンから再び三田プリンスのユニフォームで、古希野球の練習生として練習や交流試合を楽しむ。懐かしい人たちと気持ちの良い汗を流す日が待ち遠しい。病気の報告から始まった2018年のスポーツコラムだが、人生初の入院生活を経験したわたしが、人間的にさらに大きくなって、野球を通じて三田の人たちと人生交流する姿をぜひ見ていただきたいなと思う。みなさんにとってもよい1年になることを祈って、まずは4日の初コラム。

 

 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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