野球が人生の救い!?
小学校の同窓生有志9人(卒業生は115人)は約2カ月に一度、地域の居酒屋で顔を合わせていた。もうながらく会っていない。大学の昭和47年度卒生は2年に一度同窓会を持ってきた。島根開催が決定してから3年、新型コロナで延期を余儀なくされて、「今年こそ同窓会をやろう。翌日は母校が出場する全日本大学駅伝の応援だぜ」と、島根の同級生は意気込んでいたのに、7月中旬となった今、連絡は途絶えている。
参るぜ、コロナ。こんな時節柄、還暦・古希野球がなかったら、いったい何を楽しみに生きていくだろうか。野球の存在をこんなに「ありがたい」と感じたのは初めてだ。若い時代からスポーツの緊迫した世界に身を置いてきた者にとって、まだまだプレッシャーと競争が付きまとう「年寄り野球」は、情熱をかけるに値するものなのだ。
そして5月9日以降、わたしは、草野球人生で最高のパフォーマンスを会得した。精神力と技術がマッチして、「負けない投手」になった。成長したのだ。その軌跡をたどってみよう。
・4/4 対 西宮スーパースター ◯ 11 - 1
・4/18 対 甲子園スターズ ◯ 9 - 2
今シーズンの古希野球公式戦(兵庫県還暦野球連盟)は幸先よく2連勝で幕を開けた。NPO理事長の役職から解放されて終日の野球参加が可能となったわたしは、月に古希野球に登板すると、水か木には還暦野球で一塁手、あるいはDHにと体力の限界を愉しむように飛び跳ねていた。その間、徐々に徐々に疲労が蓄積したようだ。その後は敗戦投手の連続となる。
・4/25 対 尼崎ポパイ ● 0 - 6
・5/2 対 宝塚グリーンスター ● 1 - 2
・5/9 対 兵庫シルバースター ● 1 - 6
対兵庫戦が極めつけの敗戦だった。味方の引き続くエラーに不満を抱え、肉体の疲労につぶされて、こっぴどく打たれた。試合後、中心選手のHさんが「もう楽しみましょうや」と寂しく笑った。敗戦の夜は毎回落ち込んで嫌な精神状態になるのだが、布団に入ってもHさんの顔が消えなかった。
「なんとかしなくては」。練習に行くと超ヴェテランのYさんが「おまえいつまで力に頼っているんや、歳を考えよ」と、笑った。還暦のエース・Kさんは、「軟式は落ちる球が有効ですよ」とアドバイスをくれた。目が覚めた感じだった。どこかに上から還暦・古希野球を眺める自分がいて、変化球多投を良しとしない傲慢な思いがあったのだ。そのことに気づかせてくれた敗戦、それが「5.9」だった。以後、わたしの投球は変わった。
・5/23 対 川西ジャガーズ ◯ 6 - 0 (被安打 5)
・5/30 対 兵庫 ◯ 6 - 0 ( 〃 4)
・6/20 対 尼崎(全勝チーム) 〇 4 - 2
・6/27 対 甲子園 ◯ 4 - 3
・7/11 対 宝塚 ◯ 6 - 1(被安打2) 通算7勝3敗
わたしが安定したピッチングをすると守りがよくなった。攻撃パターンも形ができた。拙守を嘆いてきたわたしだったが、責任の半分は自分に在った。ピッチングの組み立ても変わった。好調が約2カ月も続く裏には、体調面だけではなくて、技術的な裏付けがある。ベンチの中が明るくなった。みんなに笑顔が多くみられるようになった。負けない投手となって、やっとチームから信頼を寄せてもらえるようになった。そんな自分の成長が今、本当にうれしい。試合翌日、プレートを強く蹴った右足の付け根が重い。体がだるい。だが、お金に代えられない充実感が全身を包む。人間的な成長がピッチング内容を向上させたといえる。
先輩格のMさんがいう。「帰りに例のスーパーへ寄ってみては?マグロのブーメランがあるから」と。三田市に2つのスーパーが新設されて人気を博しているという。勝利投手の脚は軽い。財布の中身を確認してから(中身も軽い)、マグロ、キウイ、小玉のスイカ、それと帰国中の娘のリクエスト・わらび餅。チームメイトの喜ぶ顔を見た後は、ロサンゼルス帰りの孫二人のうれしそうな顔を見たい。スーパーを歩きながら、72歳の夏を古希野球が救ってくれていると、わたしは感じていた。
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