教え子と描く野球の歴史

 「ベースボーロジー」が刊行された。自分の評論が掲載されている。もちろん初の事。うれしいものだ。生きる勇気がふつふつとたぎるような、体の底から歓喜の叫びが爆発しそうな、そんな感覚で、本当にありがたい。

 「野球文化學會」という団体があり、その役員には大学関係者やマスコミ関係の方々の名を見ることができるが、その野球文化學會の機関誌が「ベースボーロジー」。年会費(5,000円)を収めて、學會の端っこに居るだけで、東京で開催される研究大会や総会には一度参加しただけのわたしだが、どこに魅力を感じて細々と会員を続けたのだろうか?

 野球を「歓喜の学問」にする。

 野球は人類にとっての重要な資産である。

 野球を学問にすることは「野球の尊厳」に対する人類の礼儀である。

 そんな文言に惹かれて会員であり続けたというところだろうか。そして大胆にも論文を投稿したというわけだ。「戦後の日米野球交流を促進した伝説の男~ドクター・ジュン・イマザト~」。郷里の先輩を取り上げている。故今里 純先生を「全国デビュー」させえたことがわたしの自負である。いい仕事ができた。-

 *「ベースボーロジー」(Vol.15)は、汀(なぎさ)書房、03-6458-9959で購入できます。一冊2,000円。

 時を同じくして、西脇市出身で、中3のときにわたしのクラスに居た山口直樹君が雑誌「葦牙」(ASHIKABI)に「野村監督への手紙」(計3部作)を掲載した。彼は東北大学を経て北京大学大学院で学び、科学の歴史的研究を行う傍ら、「中日学術交流会」を主宰するなど、地道に研究、実践活動を続けてきた学究の徒である。ゴジラの研究家でもある。

 この論文がまた、野村監督と今里先生、京都の丹後地方(野村監督の生まれ故郷)と西脇市のつながりを興味深い内容で綴っている。*ご希望の方は「葦牙ジャーナル」で検索すれば購入可能です。

 わたしたちの仕事とは何か?どのような価値があるのだろうか?山口君の知人であるスポーツライター氏の言葉を借りてその問いに寄り添ってみようと思う。

 ☆人が寸暇を惜しんで取り組んだ志が、目の前の道を作り、その道が、また誰かの道を作   る。時を経てそれが遺された者たちに伝わる。

 ☆時が経つと、物事は忘れ去られていきます。やがて、何事も当たり前になり、そこには感謝も気づきもなくなっていく。そうならないためにも、いま生きている者たちで「残す」ために行動する。その思いを、心に携えて、これまで本を書いてきました。

 ライター氏の素晴らしい言葉をかみしめながら、昔の生徒と同じ道で共同の作業ができる不思議を想っている。ともに頑張ろう、山口君。

 


 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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