「日々の生き方に血をたぎらせる」人生とは?

 幕末に存在した新選組の剣士・永倉新八を主人公とする池波正太郎の「幕末新撰組」を愉しんでいるが、解説文にこんな一文があった。「戦後、奇跡的に長く続いた天下泰平のおかげで、日本人は命がけで何かをするということを忘れた感がある。日々の生き方に血がたぎっていないのだ」(雑文製造販売処「鉢山亭」主人 佐藤隆介氏)

 「そうだなあ、自分の人生には血がたぎっていただろうか?」

 そう感じたのは、加古川医療センターのT診療部長から「もう心配ないでしょう。野球、ゴルフも大丈夫です。普通の生活をしてもいいと思いますよ」と言っていただいた2月6日のことだった。その日は3か月ぶりのランニングを開始した「復活へのロード」(前立腺肥大の手術から)を歩き始めた日でもあったから、どこかしら人生に敏感だったのかも。

 68年の人生を振り返る。政治家に興味がなかったとは言えない。ヴェトナム民主共和国の初代主席であるホー・チ・ミン氏や、南アフリカ共和国黒人初の大統領、マンデラさんなどには大いに興味をそそられた。わたしには政治家の素質があったかも(あくまで自分だけの感じ方)。議員になっていたらきっと正義感が強く、貧しき者、虐げられた人たちのために奮闘し、民衆への貢献に「血をたぎらせた」のではないかと思う。

 だが政治家にはなっていない。残念なことに、まず経済力がない。政治にはお金がついてまわるでしょ。推薦をいただくだけの人徳もない。味方も多いが敵も多い(はずだ)。自分勝手な生き方だからな。したがって地盤も、組織もない。西脇市議選で獲得票数が少ないとこぼす陣営があると聞いても、わたしには500も700も集票することすら信じられない。奇跡的にすごいと思う。学生時代からの友人などは20年以上にわたって地方議員を務めているのだからすごい。幸せだろう。いい人生ではないか。

 31年の教員生活では教育長はもちろんのこと、校長にもなっていない。教えを乞うた先生や「二十四の瞳」の世界に感動して教師を志し、「この道より 我を活かす道なし この道を歩く」(武者小路実篤)とばかりに部活動指導や生徒指導に邁進したが、これとて退職してしまえば遠い、遠い記憶の彼方に去ってしまっている。教え子に好かれるタイプの先生でもなかったし、同窓会の案内も断ることがままあるし、教職に殉じた人生でなかった事だけは確か。

 あれやこれやと「熱き人生」とは何か?「血をたぎらせる悔いなき人生とは?」と考えているときに野球の練習許可が出た。術後一カ月の1月21日あたりからウォーキング&ストレッチは実施していたが、6日の診察までは怖かった。1月13日に収まった血尿が再発しないかと不安だったから、医師のGo!サインは真冬に突然春の陽気がやってきたようなうれしさだった。野球場の外野でランニング、両脚がきしむ。ネットに向かってピッチング、股関節がさびている。だが、バーベルを握ると筋肉に酸素がいきわたり、気分が急に若返る。

 20年以上にわたって地方議員を務めたくだんの友人はわたしに感心したことが一つある。「おまえ、ようやるわ、感心するわ」。英語が話せない身でフロリダへ行き、インディアナポリスやデトロイトで乗り継ぎながらシアトルへ寄る大胆さを、彼は「感心する」と半ばあきれ顔で褒めたのだった。アリゾナも、ロサンゼルスにも賞賛の言葉をくれた。

 わたしの人生は完結していない。野球もスポーツライティングも未完成。だとすれば、今の生き方、つまり地域で障害福祉事業を営みながら、来たる16日から合流する古希野球・三田プリンスでプレーする日々が、「生き方に血をたぎらせる」方向へ向かわせるのではないか。そんな気がしてきたのだ。いや、確かにその方向にわたしの生きがいも存在しえようと思う。

 「おれの人生はこれだった」と、そんな生きざまを家族に残すためにはまだまだ健康でなくちゃならない。手術によって勢いよく放たれるようになったわがオシッコを眺めながら、気持ちも少年のように若やぐ日々である。

 「ああ、またグランドで野球ができる」

 


 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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