スポーツ、最良の日

 スポーツを楽しむにはいくつかの条件がある。天候(温暖な方がいい)、立地条件(場所ですね)、共通の認識を持つ仲間、そしてともにプレーする人たちの人間性等々。どれを欠いても最高のスポーツ環境は生まれない。

 2月20日(火)3年ぶりに三田谷公園野球場へ足を踏み入れた。審判服姿のMさんが野球場にラインを引いていた。「おっ いつ来るんかと思ってたで」。無表情はいつものポーズだが、一泊お世話になったMさんには親しみが湧く。少し手伝う。

 N監督と握手。娘さんがカリフォルニア在住の為大リーグ観戦に詳しい高齢のMさん、奥さんの体調も安定したのかこれもMさん、皆に挨拶をして握手の連続。ひょうきんな捕手のTさんとハグ。わたしのカムバックを嫌っている様子はない。練習試合前の円陣で挨拶をした。

 「一度チームを出たわたしの古希野球参加要請に、N監督から来たらええやないかと言っていただきました。古希練習生の新人竹本です。皆さんの顔を拝見したら若返った気分です。よろしくお願いします」

 メンバーの笑う顔がある。3年の歳月がパッと消えてみんなに同化することが出来た。この春一番の陽気、周囲にジョギングコースを持ちテニスコートが隣接する自然美の野球場、そして快く迎えてくれた三田プリンス(還暦、古希両方)の人たち、全ての条件がマッチして復帰初日がスタートして行った。

 第一試合は還暦野球のゲーム。二試合目は古希のメンバーが大半を占める。強豪「阪神ロイヤルズ」相手に二試合目の先発マウンドへ。さっそく投げさせてくれるこの配慮、やさしさ。昨年12月21日の手術後(前立腺肥大)1ヶ月は完全休養。本年1月21日からウォ-キングと体操で、少し本格的に体を動かし始めたのは2月9日以降のことだ。10日間の練習でどこまで戻っているだろうか。

 結果は5イニング投げて失点1(自責点で言うなら0)。1-1のタイスコアでマウンドを降りた。「ナイスピッチング」の声とともに差し出されるメンバーの手が温かい。還暦の捕手Mさんは「ナチュラルにスライドする直球がええわ」といった。心臓に数本のパイプを入れ、昨年悪性の腫瘍が見つかったSさんは、「三田だからいいピッチングができます」に対し、「アンタががんばり苦しんできたのをみんな知ってるで」と逆に励ましをくれた。

 まだ緑の芽は見えない枯れた芝に体を横たえてストレッチ体操をしていると青空がまぶしい。「帰ってきたなあ」。予想以上のピッチング内容に満足したわたしは多くのものに感謝していた。

 N監督が用意してくれた真新しい#75のユニフォーム。次男が学生時代に使用していたグラブ。教え子がプレゼントしてくれた阪神タイガースの#64のウェア。研究者の言葉がうかぶ。「スポーツは人間のためにあるのであって、スポーツのために人間があるのではないからである」(故中村敏雄)。こんな言葉もいい。「だれもがスポーツを気軽に楽しめるためには、精神的な解放も書くことのできない条件の一つである」。

 三田プリンスは仕事で試合、練習に参加できないものへの配慮が行き届いている。だから「精神的解放」状態で気持ちよく野球ができると思うのだ。第一試合に先発した若い(62歳?)Mさん(Mのつく名前が多いなあ)はユニフォームをめくって大きな手術跡を見せた。「ステージ4の回腸を切り、転移していた肝臓も切り、のちには脾臓も手術した」と。お腹には真っすぐ切った跡、左右に八の字髭の傷。還暦、古希野球は勝敗を超えたところでつながるスポーツなのかも知れない。

 「明日からはからだが動かないだろう」。そう思えるうれしさ、感動。わたしに、また、野球の日々が帰ってきた。三田プリンスで交流を深める日々が戻ってきた。この春一番の「スポーツ最良の日」だった。

 

 

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