73歳初日の景色

 去る6日に誕生日を迎え、翌7日は還暦野球の公式戦だった。新しい日々を野球で迎えるのも自分らしいと思った。ロサンゼルスからのLine電話で孫たちがいったそうだ。「なんでジージーはヤキュウばっかり行くの?」(日本語も普通に話せる)。自分でも不思議だ、なんで?

 4:40に目が覚めてうつらうつらで5:00の目覚ましが鳴る。静かに階下へ行きユニフォームに着替えてコーヒーを淹れる。地元に誕生した「シネマコーヒー」の豆はおいしい。道具を確認して5:45三田市へ向けて出発。マイクロバスの集合時間は6:40だった。芦屋中央公園野球場に近づくと右手に夙川の高級住宅街が連なる。西脇市の景色と違うなあ。

 「右手は六麓荘町といってな、超高級な住宅街だよ」と年配者がいった。六麓荘は「東洋一の居住地」を目指してつくられた街で、香港の都市をモデルにしたのだと博識者が付け加えた。みなさん偉い。わたしは何も知らなかった。篠山のM氏は「ここの焼肉店で何度か食べた」らしいぞ。そんな街を通過して、8:12バスは野球場に到着した。

 この日の古希選手(わたし)は、ライパチ(草野球でいうところのライトで8番、下手な選手の定位置)ならぬ「ライキュウー」、ライトで9番打者。エースが速球を投げ込み、レフトに入った若手が二度のスライディング・キャッチでピンチを救った。4-1の勝利。わたしは3打数1安打。守備機会ゼロ。2試合目の交流戦は「芦屋には同級生がいるんで」とIさんが先発マウンドへ。4イニングで1失点と見事な投球ぶりだった。Iさんは友人の前で健在ぶりを披露することができた。うれしそうだった。

 5回,6回の2イニングを投げたわたしはツーシーム(まっすぐ行きながら沈んだりシュートする球)を存分に試して手ごたえを得た。6回はわずか5球で3人を抑えたから、気分の良いマウンドとなった。三田に帰りつくと先輩、後輩とバーミヤンへ直行。ノンアル、五目らーめん、ギョーザ、から揚げなど、まるで宴会気分。話題は試合の反省と10月8日からの全日本還暦野球選手権(水戸市)に及ぶ。充実感あふれる一日となった。

 西脇市の軟式野球連盟理事長として3と4の両日は淡路島の佐野運動公園に居た(近畿ろうきん杯・学童の大会)。久しぶりの海の景色は疲れを癒してくれた。瀬戸内海とヤシの木はまるで外国に来た感じで、いくつもの球場が点在する様はその青い芝生と相まって、二度にわたって訪れたかつてのドジャータウン(ベロビーチ、フロリダ)を思わせる風景が在った。ゲストハウスという5,000円の宿に泊まる初体験もあって、淡路の良さを再認識したのだった。

 この12月は「鈴木啓示 草魂カップ少年軟式野球大会」が10周年を迎える。9年間、主管団体の西脇軟式野球連盟と北播少年野球連盟のみなさんには本当にご苦労をいただいた。それゆえ、昨年の暮れに理事長就任を要請されたときは断れなかった。断っておいて、「10周年記念大会をよろしくお願いします」と、どの顔下げていえるだろうか。1年間土日が塞がるんだ、大変やで、と思っても嫌とは言えない事情があったのだ。

 だが今は野球の景色を愉しもうと考える。疲れはあるが、淡路、芦屋、三田に西脇、そしてこの次は豊岡の県大会。瀬戸内から静かな但馬まで、もうしばらく野球の景色を味わうのも悪くないなあ、と思い始めた73歳の初日だった。


 




 



 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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