夏の遊びが人生を決めた
新幹線のチケットを受け取った。チームの世話役さんには頭が下がる思い。小さな包みには「JR西日本 ありがとうございます。お求めの切符をお確かめください」と書いてある。野球チームとして列車で遠征するのは何年ぶりだろうか、いくつになっても、旅は心をワクワクさせるのだ。中には4枚の切符が入っていて、①新大阪~品川までの新幹線特急券 ②品川~水戸までの特急券 これに大阪-水戸間の乗車券(往復)が2枚ついている。10月7日から茨城県水戸市で開催される「第36回全日本還暦軟式野球選手権大会」が近づいた。
三田プリンスの還暦チームには若手の優れた選手が多く、わたしの役目はけが人が出たときのスペアと会長の酒のお供?しかしそれも大事だからね、チームとしては。同時に野球以外の目的もあって参加を決めた。JR常磐線の水戸駅から13番目に「牛久」という駅があり、そこは「かっぱ」を描いた小川芋銭(うせん)(1868~1938)のアトリエ兼自宅があった場所である。日本画家の小川芋銭は幸徳秋水らの「平民新聞」に挿絵を描き、また兵庫県の丹波地方にも縁のある人で、来月にはぜひ記念館を訪れたいと思うのだ。
小川宅から一軒はさんだ隣には住井すゑ(1902~97)が住んでいた。今は「住井すゑ文学館」となって、「橋のない川」を描き人間の平等と平和を訴えた作家の足跡を残しているという。若い日には大きな影響を受けたものである。これは行かなあかんやろ。「野球と文学の旅」いいじゃないかとひとり悦に入る。これに「食」が加わればさらに文句なし、と思いきや、冬の晴れた日には富士山も見えるという牛久沼は、実は「うな丼発祥の地」。湖畔に佇む老舗のうな丼を食べずにおくものか。
こうして楽しみな水戸遠征ではあるが、体調が悪くて参加できない人が出た。コロナ感染後野球に参加出来なくなったレギュラー選手もいる。遠征メンバーは限られる。
その昔、故・山際淳司は「八月のカクテル光線」(角川文庫「スローカーブをもう一球」所収)で、箕島高校と星稜高校の延長16回の攻防を描いが、その冒頭には「たったの一球が人生を変えてしまうことなんてありうるのだろうか。一瞬といいかえてもいい。それは夏の出来事だった」と書いた。
高校野球も人生も、確かに夏の出来事は人の心に消えない何かを残すのだ。昭和30年代半ばの田舎の子どもの一日。太陽が真上に上ると仲間が川に集まって水泳を愉しむ。唇があおくなると石垣にのぼってひと休み。水を出すには熱い小石を耳に当てるのだと年長者が言って、みなはピョンピョン片足ケンケンで灼けた小石を耳に当てて、終わると再び水中へドブン!水に飽きると天神さんの境内へ移動した。
境内で興じるのは三角ベースのソフトボール。三塁手後方の井戸を超えるとホームランで、非力なものは右狙いで大木茂る小高いマウンドへボールを運ぶ。それは各戸に夕餉の煙がのぼるまで続いた。いつ勉強していたのかは思い出せない。われわれの遊びはやがて本格的な野球へと進化した。夏の祭典「町対抗少年野球」、それがすべてだった。学校の部活動に縁のなかったわれわれには、とってもマイナーな少年野球が最高のメジャーな舞台だった。そのマイナー経験が心と体に染みついて、73歳の秋にボールを追っている。投げている。夏の思い出が一生の道を決定した。
常磐線の旅はもう一つの目的を果たす。忘れてた。千葉県には母方の叔母がいる。母親の兄弟姉妹(5人)の存命さいごの一人に会いに行くのも大きな仕事だ。古い写真を持参していっとき故郷の若かったころに戻ってもらおうと考えている。「野球の旅」は粋な計らいを提供してくれそうだ。「夏の遊び」、いい時代のいい思い出を胸にわたしたちは育ったのだ。
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