「奇跡」の7連勝

 体が異常をきたしている。右腰が痛い、重い。やや持ち直したとはいえ、全力投球できる状態には程遠い有様なのだ。10月24日(月)の川西戦、勝てば全国大会出場が決まる、プレッシャーがチーム全体を覆う?5点先制、5点献上、2点追加すると2点取られ、5つのエラーが続出し、投手の集中力も切れかけて6回表で7ー7。6回裏に4番Hさんがレフトオーバーの三塁打を打ってこの回3点を追加、再終回川西の攻撃を投手ゴロ、2三振に抑えて10--7の勝利。「不思議な試合でした、お疲れさん」。皆が笑顔で握手を繰り返した。

 古希野球「三田プリンス」が来季の全国大会出場を決めたのだ。兵庫県の場合、古希野球リーグには14チームが参加し、それを東西に分けてそれぞれ7チームでリーグ戦を実施している。結果、東西を併せて3位以内のチームが全国大会の出場権を得ることができることになっている。やはり全国出場は大きなブランドなのだ。

 先般三田プリンスは水戸市で開催された還暦の全国大会に出場したが、これは新型コロナが猛威を振るう前の時点で18チーム中3位以内の成績を収めていたからである。そして、古希が全国を決めた10月24日の試合後にわたしの体が悲鳴を上げた。歳なのか!思えば2022年は野球に没頭できた最高のシーズンだったのではないか。

 自分が立ち上げて7年にわたって情熱を傾けた「NPOスポーツアカデミーShine」(主に障害者就労支援B型の活動をしている)の理事長を1月、後任のOさんに譲った。硬式野球ボールの再生事業(エコボール)と野球場・公園管理に適した男性O氏は、2名のサービス管理責任者の女性とともに以後、適切な支援体制で事業所を運営していった。そのため、わたしは念願の還暦野球にも参加することが可能となった。週2回野球ができたのだ。

 月曜日は古希野球の試合、続いて水曜か木曜に還暦野球のゲーム。73歳で好きな野球が肉体の限界を超えて存分に愉しめるのだ。だが、捕手と遊撃手のチームの要が相次いで大きな病気に見舞われた。手術や放射線療法で二人が抜けた。そのために、わたしは徐々に疲労を蓄積していった。

 4月。西宮、甲子園を連破。だが4月25日に尼崎に0-6で敗れると、5月に入っても宝塚、兵庫と連敗を喫していった。中でも兵庫戦ではレギュラー不在の守りとわたしの疲労で、打たれる、エラーが出るの連続で0-6の完敗。この時点でチームは2勝3敗。「もう投げたくないわ」とすら思っていた。そこには守りの拙さに不満を持つ自分がいた。「何とかしなくては・・・」ならない。悩んだ。

 6月に入ると前立腺で放射線治療のMさんがショートストップに復帰した。病からカムバックしたのだ。うれしかったね、みんなそう感じたはずだ。拙守を嘆く前に、とわたしは力に頼る単調な投球から落ちる球、フォークボールを投げ始めた。縦の大きなカーブも使っていった。「チームがあって野球ができる、ありがとう」と思い始めたら、チームは負けなくなった。すべては5月9日の対兵庫戦の敗北がきっかけだった。

 以後、一度負けたチームにはすべてリベンジを果たし、5月23日から破竹の7連勝をやってのけた。古希野球の「奇跡」だ。前回0-6で負けている尼崎戦では4-2から最終回にノーアウト2,3塁と攻められ「これは仕方なし、なんとか同店で終わろう」と覚悟したのに、三振、投手ゴロ、内野ゴロで得点を与えなかった。「成長したよなあ」と自分を認めた試合だった。

 今シーズンは還暦チームにも仲間として迎えてもらった。会話も増えて、選手の人生に触れる機会が多くなった。病気を克服した人、病後の生活に活気を生むために観戦し、練習だけに参加する人、物忘れが始まっているのかと温かく年配者を見守る主力選手たち、試合後に若手を食事に誘うリーダーの姿、奥さんの入院生活がながく一人で家族を世話する後輩、コロナで離脱したレギュラー選手、突然の心身不調で来なくなった人。特筆すべきは手術を経て痩せていた監督兼捕手のMさんが、ときおりは荒い呼吸を見せながらも9月から元気に試合に復帰したことだ。チームを活気づけた。古希の最終戦ではバッテリーを組んで、全国出場を決めることができた。

 還暦チームはまだ3試合残している。来シーズンの全国選抜大会出場のためには一つも負けられない。古希は8~9日に近畿大会(大阪・奈良)を迎える。腰が重いなんて言っておれない状況だがわたしは焦らない。自分の仕事はもうやり終えた。近畿大会は他の選手に活躍してもらうのもこれからのチームのプラス効果を生むはずだからと、達観している。ちょっとは成長した?

 生涯スポーツの現場では、サッカー、ラグビー、テニス、水泳、陸上競技、バレーボールなど、それぞれの舞台でそれぞれが年齢と共存しながら日々感動を味わっていることだろう。ありがたき哉「仲間、スポーツ」。そしてわれわれの喜びや挑戦がいつまでも可能となるよう、平和で平等な日本社会であることを祈っているシーズン終盤の古希野球選手のつぶやきである。 



シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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