古希野球参加がもたらす人生観

 「歳をとるのもわるくない」と人はよく口にする。本当だろうか?人生は若いうちが花ともいうじゃないか。年齢を重ねると生活範囲が狭くなる。病気もするし酒量も減る。話題に事欠く、などなど。遊ぶ機会も少なくなっていくし、寒い日などは日課の散歩も怠りがちで時間があっても外気に触れる気がしない。そして悩むのだ。「これって老化?」

 古希野球に参加してわかったことがある。プレー自体が楽しい。肩の力も抜けて野球そのものを愉しむゆとりを感じる。それはマウンドで初めて経験する不思議な感覚なのだ。このような気分はどこからやってくるのだろう。

 2月27日(火)は三田プリンスの練習試合だった。還暦野球のゲームがなくなって古希野球の試合が2つ組まれた。4年ぶりの三田市駒ヶ谷公園野球場はウッディタウン(映画館や大型ショッピングモールが並ぶ区域)と閑静な住宅街に囲まれたシティ感覚な野球場だ。懐かしい場所でわたしは、大阪からやってきたチームを相手に先発のマウンドに上がった。

 エラーとワイルドピッチで2点先取されたが5-2(確か?)の逆転勝ち。3週間弱のにわか調整で7イニング完投のおまけつきだった。20日の5イニングと同じく、自分としては大満足の投球が続く。おかしいなあ?誰がエラーをしても笑みが浮かぶ野球、1本のヒットに心からの拍手が響く野球。古希野球の魅力は先行き短い人生を共有するところにある。「オレも古希野球の選手になったか」と年齢を自覚し、重い病を抱きながらプレーする先輩の姿に感動したとき、わたしは内面の変化に気付いたのだった。

 名刺や肩書、豊かな経済、地位や名誉、そしてあらゆる権力。さらには周囲に褒めてもらいたいと思う気持ちや目立ちたい欲求などは古希のマウンドに吹く風がザッーと運び去っていく。自分の年齢や老いをポジティブに自覚したときに古希野球は世俗を超える。「不思議な感覚」が生じる因はここにあったのだ。歳を重ねるのもいいものだ。古希野球はそれを教えてくれる。

 昨秋わたしはアリゾナへ行き3つの球場でプレーをした。ダルビッシュが初練習をしたカブスの施設。大谷が投げたテンピのディアブロスタジアムはエンジェルスのキャンプ地。スポーツニュースで流れる現地の映像はまさしく自分が野球をしたグランドだった。極めつけはマリナーズの球場。イチローが練習したであろうライトの位置からクラブハウスに向けて携帯のカメラを向けた。その場所へまたイチローが戻っているのだから、自分はいかに恵まれた「野球人生」を送っているか。

 ロサンゼルスやアリゾナにおける野球の雄大さと、古希野球の神髄(無私無欲)が融合してわたしに「不思議な感覚」を運んでくれる。老いを自覚しその認識を肯定的に転化するとき、そこには大いなる自由が生まれる。だから古希野球はすばらしいと思うのだ。

 *写真はマリナーズのキャンプ地ピオリアと、イチローが住むシアトルにあるワシントン州立大学のハスキースタジアム(アメフト)。懐かしい。

 

 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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