パーンパパーン パパパパパパーン

古希野球参加がもたらす感性の鋭敏さ、といえばかっこいいが、単なる69歳の感想。世の中の移ろいに感動することが多くなった。そして思うのだ、身の程知らずながら、「むかし村にいたあの人物を描こう、名もなく貧しかった人々を文章にしよう」、それはわたしに課せられたものだからとひとり意欲を燃やす自分がいるのは、古希野球のおかげに違いない。

 そんな心境で買い求めた芥川賞の玄冬小説(青春小説に対比する言葉で、なんでも中高年を励ますものだとか)若竹千沙子「おらおらでひとりいぐも」(河出書房新社刊)。東北弁がしつこく登場する、難解? が、47ページになると新たな展開に。「高校を卒業してしばらくは家にいた。ずっと郷里にいるつもりだった。母の念願通り農協に勤めることになって」、主人公の桃子さんのこと。そして組合長さんの息子さんとの縁談がまとまり結納も済み、あと三日でご祝儀という日のこと。

 「あれが鳴ったのだ。ファンファーレ、東京オリンピックのファンファーレ。あの高鳴る音に押し出されるように、(略)故郷の町を飛び出してしまった。何も考えていなかった。ただあの音が桃子さんに夢を見させた」。桃子さん24歳の秋のこと。

 わたしも東京オリンピックのファンファーレに大きな影響を受けた一人である。15歳中3の秋にそれを聞いた。中学校の講堂(体育館ではない)の大型テレビは連日オリンピックを放映し、「次の理科は講堂へ集合」、私のウソにつられてテレビの前へ移動した級友たちは理科担当の先生にこっぴどく叱られた。マラソンではアベベ(エチオピア)が靴を履いて走り(4年前のローマでは裸足だった)、円谷が銅メダルを獲得し、東洋の魔女は女子バレーボールで金をとり、三宅義信は重量挙げの魅力を日本中に知らしめた。陸上の100mはアメリカのボブ・ヘイズが人類初の10秒0、褐色の弾丸と呼ばれた。まだまだある。鉄棒男子団体、「鬼に金棒小野に鉄棒」選手宣誓の小野選手を中心に団体の金・・・ああまだまだ挙げればきりがない。もうやめる。

 ある同級生は「おれが三段跳びで日本のお家芸を復活させる」と本気でいい(当時16m48cmの日本記録を持つ岡崎選手は東京五輪で活躍できず)高校でも陸上競技を続けて関東の大学へ進学して体育学部生となった。後輩は走り高跳びの金メダリスト、ワレリー・ブルメル(ソ連)に憧れて東京教育大学(現筑波大)へ進み、運動力学の大家になった。

 わたしはというと、兵庫県立社高校体育科の一期生となり3年後は順天堂大学へ。スポーツと教師の道をひた走ったのだった。もちろん、あのファンファーレに導かれ。開通直後の新幹線「こだま」で東京へ行き、選手村で肌の黒い、初参加の振興独立国選手からサインをもらったことも人生の後押しをしたことだろう。

 田舎育ちのわたしたちは東京オリンピックに触発されて東京を目指した。スポーツに青春を賭けた。試合後に新宿の歌声喫茶で声を張り上げた。埼玉は上尾の駅前でパチンコ店のニイチャンに国士舘大学の学生と間違えられて尊敬された。記録が伸びずに補欠の悲哀を散々嘗め尽くした3年間。練習後の学食と風呂だけが救いの運動部生活。たまに神田の古書店街を散策して新鮮な空気を吸った学生時代。東京オリンピックがわたしの人生を決定づけた。

 「おらおら・・・」の主人公、桃子さんはこれからどんな人生を送るのか。小説の山場は今からだが、作者の若竹さん、うまい、東京オリンピックのあのファンファーレをもってくるのだから。

 古希野球の選手は思う。2020年、東京オリンピックはやってくるだろうが、ファンファーレを聞いて結婚式をすっぽかす人がはたして生まれるだろうか、と。今の時代に「夢を見させる」オリンピックになるだろうかと。

 


 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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