老人から壮年へ 初練習
やってきたぜ 初練習日。昨夕の寒風はどこへやら、車中は春を思わせる好天気。今日は1.17。28年前に淡路・阪神を襲い、死者6,434人、行方不明3人の大被害を出した震災が起きた日だ。還暦・古希野球三田プリンスの初練習は29人の黙祷から始まった。
厳粛な中にも心が躍る本年初の顔合わせ。家に居たら「ただの老人」だが、いざグランドへ足を踏み入れたらたちまち壮年の活気が満ちてくる、そんな気分になるから、野球はありがたい。「29人だよ、すごいよ、みんなこの日を待っていたのかな」「ヒマなのよ」、体操の輪から聞こえる話し声。この陽気は朝の新聞記事から生まれたか。
15日(現地時間)のヒューストン・マラソンで新谷 仁美(積水化学)が日本歴代2位の好記録で優勝した。そのタイムは2時間19分24秒だった。2005年に野口みずきがベルリンでマークした日本記録には12秒及ばなかったが、日本女子としては18年ぶりの20分切りだった。「あっぱれ!」。彼女はわたしの好きなスポーツ選手の一人である。その理由はなぜか。
東京オリンピックはコロナ大流行のさなかに行われた。その後の事実で「金にまみれた」贈収賄五輪だったことも判明。だが、スポーツ関係者からは怒りの声はあがらなかった。「いい加減にしろよ、おれたちは生涯をかけて懸命に努力し、代表の座を勝ち取り、五輪精神を体現してがんばったんだぜ、それを汚しおって、許せない」、なんていった人をわたしは知らない。こんなの政治的発言?いいか悪いか、誰が見てもわかるじゃない、汚職を悪いと言ったらその人は左翼?そうしてスポーツマンの口をふさぎ、人間的な成長をとどめてきた方こそ政治的なんだがな。
その中にあって新谷 仁美は一味違った。「国民がコロナ禍で生命の危機にさらされているときに、わたしたちはただオリンピック開催を叫んでいいのか」といったような趣旨の発言をしていた。日本でこういえば成績の低下とともに陰湿な「いじめ」が待ってるぞ。だから今回の快挙がうれしかった。今朝はだから気分がよかったのだ。記事を切り抜こう。
で、初練習に戻ると、三田谷公園野球場のネット裏では新年のあいさつが交わされる。「今年もよろしく」と。「あの人元気に来るかな?」いつもの顔がいつものように集まり、12月まで野球ができること、それがみんなにとって最高の喜びなのだ。いつもの相手とボールを投げ合い、トスバッティングをやり、守備位置についてボールをさばく瞬間のうれしさはいかばかりか。
今年も野球シーズンがやってきた、温かい1月の陽を浴びてわたしは叫ぶ。「やるでぇ」、何をやるかはシーズン終盤になればわかるというもの。気持ちがパッと変わる。昨日までの老人が、今日は溌溂とした壮年野球選手になっている。
わたしのワクワクは野球だけではない。1月31日をもって自分が立ち上げて、育ててきた障害者B型事業所から完全に撤退、退職となる。あと3日、あと3回行くだけで「俺は自由になるのだ」。2月1日からは「プロのノンフィクション・ライター」。自称するだけだが、プロとして物語を紡ぐのだと決心している。完全な年金生活者で、家内は「自分の事は自分で稼いで行動してください」と冷たく突き放すから、小遣いゼロの貧乏ライターがひとり誕生だ。またそれがうれしい。
そこでだが、8年にわたる利用者たち(様々な障害を持つ)との交流は残したい。彼、彼女らの生きた証として、日々の出来事をまとめ上げ、いつか文章にするのだと、今は毎日パソコンのワードに日誌の一コマを打ち込んでいる。この作業がまた楽しい。新しいシーズン、新しい人生の初日、今日はそんな一日だったのだ。「うん、おれは老人じゃない、夢もある、まだまだ若い」、自然か無理強いか、そんなことをつぶやく73歳がひとり。
0コメント