利用者さんからの贈り物
1月の最終日、31日(火)のこと、「さあ二度目の練習日だ」と弾んでいたら、三田市に入る頃には小雪がチラホラ舞ってきた。三田谷公園事務所の女性職員に「三田は日本のシベリアらしいですね」と尋ねたら見事に否定された。「兵庫のシベリアです」と。ありゃとチームメイトに報告したら彼曰く、「近畿のシベリアですよ」。どっちやねん、しかし寒さに変わりなし。ところがこの日のわたしは笑み満開だった。自然と笑顔がこぼれてきて、強気の捕手Mさんが「50球いきましょう」と叩くミットめがけて投げ切ってしまった。体も心も軽かったのだ。
練習前日にわたしはこんなLineを送っていた。「こんばんわ。明日のスタッフLineの前にお世話になった人に連絡させていただきます。今日の作業で無事に退職を迎えました。わたしの眼から見た<事業所の歴史 利用者さんからの贈り物 A4版53頁>も昨日書き終えました。お世話になった神戸の大橋先生には贈っています。Kさんいわく、毎日がドラマやなあ、そのままの歴史です。それもこれもすばらしいスタッフと個性的な利用者さんたちに支えられた結果です。あらためて、お礼を申し上げます。みなさんとともに福祉の世界に少し貢献出来たことは人生の誇りです。本当に、ありがとうございました」。
それまでは障害者について語ることはアンタッチャブルな世界だと思っていたし、精神疾患は特に理解の及ばない別世界に思われて無理解だったと思う。避けていたのかな。そのわたしがNPOの仲間とともに障害者総合支援法に基づく福祉サービスのひとつである就労継続支援B型事業所を立ちあげたのは平成26年11月のことだった。ある方面から要請を受けての決断だった。
福祉と教育の機能を併せ持つ「フリースクール」的なB型事業所ならやってみる価値がある。不登校やうつ症状、あるいは統合失調症や発達障害の若者たちに役立ちたい気持ちもある。その内容なら先行の事業所と競合しない利点もあると判断して、わたしたちは事業所をスタートさせていった。ある若者は事業所に出会った時の気持ちを次のように表現している。「統合失調症はある日突然やってきて、僕から青春を奪っていきました。勉強もスポーツも目いっぱいがんばって、今思うといい子過ぎました。高校中退、自殺未遂を繰り返し、喪失感、虚無感で何をしても空回り、失意のどん底だった28歳の秋に、大自然に恵まれたある事業所に出会いました」。
7年余の間、彼らの思いを受け止めることができていただろうか。「家庭不和に悩む人、親から突き放された人、絵画に生きる人、過去の栄光と現実のギャップに悩む人、学歴というプライドに苦しむ人、ガムシャラに働く壮年利用者、皆が目を輝かせていました」。若者は「キモイ、人間の屑」といじめられた過去から逃れ、心許せる仲間の世界へ飛び込んでいって、同時に少しずつ若者の利用が増えていった。作業内容は野球場の整備を含む公園管理と、硬式野球のボール再生(エコボール)が中心だった。手袋の内職もあった。笑いが絶えず、女性スタッフの作るお好み焼き、きつねうどん、かす汁、焼きそば、から揚げは大人気。焼きそばを「はじめて食べました」とうれしそうに笑みを浮かべたI君、いまもどこかで元気にしているだろうか、などと思ったりする。
「まねき猫」(カラオケ)では過呼吸傾向のKさんが「いきものがかり」を歌い、画家K子は中島みゆきを熱唱した。日頃静かな中年Oさんが「高校三年生」を恥ずかし気に歌い出すとみんなびっくり。「日時計の丘」でのBBQも数えきれない。日頃食べなれない肉に下痢をした人、缶ビール7本も空けた猛者、一口のビールで真っ赤になって寝てしまった純情J君。「ここは毎日がドラマだね」と楽しく過ごした事業所生活にも彼ら彼女らの症状は和らぐことはなかった。入退院を繰り返す人、賽銭をごまかす利用者、一般就労にあこがれ入退所を繰り返すN君、アルコール中毒で体内出血を起こし、血圧40となって急死したFさん。
理事長であるわたしは彼らを深く理解できずに創設3年目まで、作業に不熱心な男性に厳しく注意し、生意気な態度には名前を呼び捨てにしていたのだから。統合失調症は幻覚や妄想が生じ、意欲の低下や感情が出にくい、認知機能の低下などの症状が特徴的だとされる。彼らは働きたくても心身が追いつかないのだ。「働かない」から、「働けない」へとわたしの認識が変化するのに3年もかかった。中学校の生徒指導担当だった自分の経歴がきっと邪魔をしていたのだ。
退職の日はかつて事業所を利用した約40名の顔が泛んだ。亡くなった者3名(自死が2名)、今も入院中の若者が2人。縁のなくなった人も数人。電話に依存する統合失調症の男性は毎朝7時に電話をかけてくる。だから我が家は目覚まし時計不要。そんな彼ら、彼女たちから教えられたのは「人としてのやさしさ」だった。やさしいから傷ついて、他人にきつく言えないからストレスを内にため込んで発症したものが多い。この学びをこれからの人生に活かせたら、きっと野球も楽しくなるはずなのだ、いや活かさなくてはもったいない。さいごに、すでに退職したあるスタッフからの返信を上げて新しい自由な生活へのスタートとしたい。
☆こんばんわ、本当にお疲れ様でございました。福祉と教育を融合させた新しい作業所の 姿を定着させ、地域に支持され、業界では、知らない人はいないまでの存在感と信頼関係を築き上げてくださいました。ときどき、事業所で過ごしていたときのことを思い出しては、楽しかったなぁ、面白かったなぁと、ひとりで笑っています☆
人が変われば組織は変わる。思い出は変わらない。いい人たちと活動していたことを改めて感じているが、いつの日か還暦・古希野球も、「いい人たちがいたなあ」と思う日が来るのだろうか。それはもうちょっと先になってほしいものだ。
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