部活動の地域移行

 2月7日の19:00から西脇市総合市民センター(通称 カルチャー)大会議室に於いて「令和4年度部活動地域移行に関する講演会」が開催された。対象は、スポーツ協会(旧体協)、スポーツ推進委員、スポーツ少年団加盟団体、スポーツクラブ21、西脇市文化連盟の方々で、講師は兵庫教育大学の森田教授。愁眉の課題とあって熱気のある会議となった。

 森田先生は全国の事例を引きながら、「部活動改革がもたらした大きな波紋は好機」ですよと話されていた。わたしはもとより、参加者の多くは専門的知識にはとぼしい(と思われる)。しかし部活動の限界は理解できる。先生方の「働き方改革」から始まった機運だったとしても、「学校から地域へ」はもう止めることのできない奔流となっているのだなと感じられた。

 日本の部活動は無料で専門的な指導が受けられて、かつてはそこを通して、中学~高校~大学・社会人へと育っていった。世界的にも評価されていた。教育系大学(特に体育系)の学生たちは「オレは高校の先生になって部活動に打ち込むで」と将来を夢見たり、「オレは教育的な意味でも中学校で陸上競技を指導したいなあ」「バレーボールを教えてみたいわ」などと自分の将来像を描いて大学の門を飛び出していったものだった。超過勤務など眼中になかった。

 その中では部活動の問題点も多々生じた。勝利至上主義、体罰、授業研究の軽視、内申書を意識させるような管理体制と、いろいろ世間の批判も浴びた。それを改革して今回「地域スポーツ」として部活動を発展的に解消させ得るなら、それは一大改革で「スポーツの明治維新」ともいえる内容を持つのではないだろうか。森田教授は言う。「誰が中心となって検討していくのか?学校という閉じた空気の中で議論するのは限界だ」と。果たして西郷隆盛や坂本龍馬は出現するだろうか。

 難しいだろうなあ、日本では。わたしたちの学生時代でも西ドイツのゴールデンプランや欧米の総合スポーツクラブの実際は知識として知っていた。しかし「日本では部活動」だった。その中で日本のスポーツを学校から地域クラブへと変えていった人物がいる。1964年の東京オリンピックでメダルを期待された水泳陣は(字数の関係で荒っぽい表記になりますが)惨敗する。水泳の役員だった後藤忠治氏(後セントラルスポーツ社長)は五輪後、手弁当で全国をまわって水泳の普及活動を行ったという。「我々の手で会社を成長させて見せる」、創業間もない熱気あふれるその会社に入社したのが鈴木陽二氏だった。

 ポスター張りから宣伝車で街頭まわりと、教員採用試験合格を捨てて鈴木陽二氏は水泳界でがんばった。そして1988年北京オリンピック100m背泳ぎで陽二氏がコーチする教え子・鈴木大地選手(後のスポーツ庁初代長官)が金メダルを獲得したのだ。日本中の子どもたち、いや大人たちまでも「バサロ泳法」の真似をした。ここから日本のスポーツ界は真の改革を迎えたとされる。「学校からクラブへ」。陽二氏の日本スポーツ界に果たした役割は大きい。学生時代の1年間、陽二と同じ部屋で過ごしたわたしはなぜか気が合って、彼の業績はその人間性が成しえた成果だと感じている。

 というわけで、わたしは部活動の指導時代はよく地域の専門家に指導をゆだねていた。生徒たちは生き生きして外部指導者を受け入れていた。先生とは違うものがあるのだろうと思った。新鮮に感じたと思う。退職後に兵庫教育大学大学院で勉強したときは森田先生の授業も受けている。「よし、オレは地域で活動しなくっちゃ」と、2013(平成25)年に西脇市で9名の仲間と「NPOスポーツアカデミーShine」を創設した。しかしながら指導者に苦労させるばかりで、結果、総合型スポーツクラブ構想から離れて障害者事業所の運営にウェイトが移る結果となった。わたしの未熟さと、時代的に時期尚早だったことが成功に結びつかなかったといえる。

 「よし、再挑戦だ」。森田先生の講演を聴きながらわたしは、野球の指導をするかな、いや駅伝で有名な西脇工業高校を持つ西脇市だから、かつての専門性を活かして部活外部指導者として中学生の中・長距離選手育成がいいかな、いやいやもし要請があれば学校と地域をつなぐコーディネーターもやりがいがあるなあと空想に耽っていたら、講師の声で我に返った。「10年後には、地域クラブ化をまちづくりの一つと位置づけて取り組んだ自治体と、それ以外の所は大きな差が出るでしょう」。森田先生は「市民のパワー、行政の考え方が問われる」とも言われた。

 西脇市では昨年末に40数年の歴史を持つ「日本のヘソ 子午線マラソン」を廃止した。この2月の開催予定だった「全国高校新人駅伝」も中止となった。費用や人的準備で教育委員会の考え方、苦労も理解できるし、6千余名の署名を添えて市に再考を促した人たちの気持ち、「町づくりてなんやねん」と怒るのも十分理解できる。こんな難題を抱える西脇市教育委員会にとって、「部活から地域クラブへ」のスローガン達成は今後大変だろうなと同情してしまうのだ。どうやって「市民のパワー」を引き出していくのか、今後の取り組みに期待しながら、わたしはそっと静かに見守りたいと思う。


シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

0コメント

  • 1000 / 1000