「初老」の球春

 野球を愛した明治時代の俳人・正岡子規の句。「春風や まりを投げたき 草の原」。そんな季節が今年もめぐってきた。2月26日(日)の午後4時頃、常の練習場とする西脇市羽安町の河川畔道をランニングしていると暖かい日差しが快く感じられた。体の底から喜びを感じる温かさだった。景色も違って見えた。

 翌27日は古希野球の初練習試合。三田谷へ強豪・尼崎ポパイを迎えた。尼崎とは昨年1勝1敗だったが、初戦は0-6の大敗で、勝った試合は4-2の辛勝だったから今シーズンを占ううえで大切な練習試合だった。結果は3-1の勝利。三田プリンスのHPから戦評を拾ってみる。「初回に2失策、ノーヒットで1点取られるも、その裏に1点で追いつく。5回に長短打で2点を勝ち越し、竹本投手が5安打完投」とある。5本は全て詰まったあたりだった。

 「低めに集まっていたよ」「コントロール抜群ですね」とお褒めをいただいた投手も「我ながら球が走っていたわ」と自画自賛。厳寒の中でもランニング量の調整、軽重のウェイトトレーニングの継続、ネットピッチの慎重な頻度設定などがうまくいったのだと思った。イニング交代時、尼崎のヴェテラン選手がわたしに問いかけてきた。「何年生まれ?」と。「24年です、もうすぐだめですよ」と笑って返答したら「速い球を投げるねえ」とほめてくれた。年齢と球のギャップを尋ねられるようになったのは昨年秋の近畿大会からのことである。不思議がられる年齢に、自分が近づいたということなのか。

 60歳からが初老だという。今も還暦(60歳)、古希(70歳)を祝う慣習があるけれど、奈良時代には10年ごとに祝いがあって、40歳を初老と考えていた(日本風俗史辞典)。初老とは、「肉体的な盛りを過ぎ、そろそろからだの各部に気をつける必要が感じられるおよその時期」(新明解国語辞典 第六版)とのこと。その「初老」にあがらうかのように還暦・古希野球に果敢に挑んでいるのがわれわれだということか。

 最近の気分転換は図書館で借りる故・藤田宜永作品で、還暦の「竹花私立探偵」が活躍するシリーズものだ。こんな一節があった。「彼ら(還暦世代)を必要としている社会は存在していないに等しい。多くの男はいくつになっても、躰が不自由になっても、社会と繋がっていることで元気が出る。女から見たら、何もそこまで拘ることなどないのに、好き勝手に生きればいいのに、と思うだろうが、拠って立つところがあやふやな”戦士”は”退役”しても胸の底には現役であることの幻を見ているものだ」。

 その点還暦野球・古希野球の世界は社会とのつながりに満ちている。チームがあって、そこは丁寧なコミュニケーションを求めていて、さらに相手チームとの交流があって、結果が神戸新聞で西脇、丹波、丹波篠山、三木、三田市の読者に届く。大会は県内から近畿、西日本、全国へつながっていて、今シーズンの三田プリンスは大阪、山口への遠征が予定されている。ありがたき哉「生涯スポーツ」。

 尼崎戦で快投を終えた午後、わたしとまじめな後輩T君はおいしいパンで有名なP店でコーヒー片手に(味も量もgood)テラス席にいた。「この牛肉カレーパン、おいしいですね」とT君がいった。道路に面したそのシートは初春の陽光がユニフォームに注がれて、幸せ気分を倍増させてくれた。すき焼きの入ったパンもあるそうで、「次回はそれにしましょうか」と約束をしてT君を彼の自宅付近で降ろした。家族の悩みも少し吐露してくれた彼の後ろ姿を見送って、「ご苦労さん、さようなら」を交わした。わたしはこれからも三田市で幾度となく「お疲れさん、さようなら」を繰り返すだろう。いつまでも言い続けたいものだ。


 

 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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