忘れえぬ大学生活
人生でたった4年間の生活なのに、学生時代が一番印象に残っているのはなぜなのかなあ?
この8日(土)は小学校の同級生が久々に集まる。10人~12人、いずれも地元に住んでいて、わたしも含めて土臭い連中だ。同級生の娘さんが夫婦で経営する居酒屋がその舞台。みんな心易いから気楽な会合だ。中学校のクラス会は世話好きのK君が早くに亡くなって、それで途絶えた。高校は県下一円から集まった48人だったが、距離もあり、担任の先生が亡くなってから(訳ありで知らされなかった)、パタリ誰も声をあげなくなった。
大学からは定期に同窓会誌が届いている。今回のテーマは「校歌」。「光に映ゆる 湯島の台地 聖鐘(せいしょう)爽やか こだますところ・・・」。湯島の聖堂は御茶ノ水駅から眺めることができた(はずですが)。グランドでよく歌っていた。「仁術の道 守りてここに」の部分は特に声に力が入った。いい歌詞だなあと(これ医学部の事なのに)。表紙には1番~3番までの校歌とともに、体育学部の上空から撮影した校舎全景写真がある。習志野市の旧陸軍兵舎跡の木造校舎。校門(石柱が左右に在った)を入ると左右に楠のような大木が植わっていて、左手に陸上競技部の練習場である400mトラックがある。走高跳のピットとハンマー投げのフィールドがひときわ黒くなっている。多くの学生たちが夢を追って鍛えた場所だ。関東ロームの黒土が昨日のように目に浮かぶ。田舎の高校を出た弱いランナーがプライドをズタズタにされた苦しみを、ともにした土だ。
古びた寮の写真もある。数人の学生が寮の入り口で語らっている。投稿者の中に一学年上の記憶に残る名前があった。北海道出身のスキー部員。ということは1年時のわたしの部屋長・Tさんの後輩だ。部屋での飲み会。上半身裸の学生たちが板の間で車座になって飲んでいる。「一つ出たホイのやさホイのホイ」替え歌だ。あった、歌ったなあ。「サッポロのビール会社の煙突は、太くて長くて大きくて、吐き出す煙は・・・」。Yさんそこまで書くか。「お姉さん、ブランコ遊びも良いけれど、上り下りのそのときにチラリと見えます・・・」。Yさんの記憶のすごさに驚きながら、先輩の命令で酒屋の戸を叩いて夜遅く、サッポロジャイアンツの大瓶を買った夜が思い出された。若かったなあ。
必死で走った3年間。補欠選手の悲哀をかみしめながら懸命に青春を燃焼させた。年間を通して早朝6時にはグランドに居た。そんな自分の昔がいとおしいのか。「あぁ 上野駅」(井沢八郎)や「僕はないちっち」(守屋浩)に誘われて、「どうしてどうしてどうして 東京がそんなにいいんだろう」と歌いながらあこがれて上京した、その時代が強烈に懐かしいのだろうか。
大作家の村上春樹は1979(昭和54)年「群像」に「風の歌を聴け」でデビューをして、1987(昭和62)年に「ノルウェイの森」で大ブレークしたのだが、彼はわたしと同じ1949(昭和24)年の生まれ(大きな違いだが)。彼が早稲田大学に入学するために上京したのが、1968(昭和43)年の春だった(この項、「上京する文学」岡崎武志 ちくま文庫による)。当時、多くの若者が東京をめざした。神戸高校から早稲田に向かう彼は、社高校から順天堂に赴くわたしと同じ新幹線に乗っていた、かも知れない(ありえないか)。
苦かったのに、一番記憶に残っている学生時代って、何なのだろう。不思議に思う。
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