野球の景色

 野球の景色はそのレベルの違いによって見せる顔は異なる。わたしが眺める景色は、70歳以上のプレーヤーからなる全国312チーム、7,509名(昨年比224名増)が参加する古希野球。

 4月17日(月)の試合では4イニングを投げた。ノーヒット・ノーランで5回をKさん(現役の弁護士さん)に託した(5回コールド)。三田プリンスは25点の大量得点だった。わたしが還暦野球に参加した14年前は「西宮スーパースター」は光り輝いていた。まぶしかった。全国優勝も成し遂げ、元広島カープの投手や、阪急ブレーブスの捕手などが顔を揃え、対戦するだけでワクワクと興奮したものだった。まさに「スーパースター」軍団、そのチームの高齢化による弱体化、寂しい気持ちになった。

 それはさておき、公式戦のあとの第二試合は全員出場の交流戦。ボールボーイ役のわたしはライト戦のパイプ椅子に座って楽しいゲームを眺めている。ポカポカ4月の陽が暖かい。公園の周囲をぐるり囲む10メートルの高さはあるだろうアメリカフウの新緑がすばらしい。1週間前の10日(月)クボタ・グランド(伊丹市)でわたしは完封勝利をつかんでいる。被安打3。昨年のこの季節は1-6で負けた兵庫シルバースター相手にリベンジ気分で臨んで、快勝したのだった。

 それから3日後の還暦野球公式戦の交流戦で2イニング投げて連投の練習をした。おかげで体はボロボロ、疲労を取るためだけの3日間を過ごして17日を迎えた。だが結構投げられて、二試合連続の失点ゼロ。11イニング無失点。最高の気分で交流試合とアメリカフウを眺めていて、思ったのだ。「この景色を少しでもながく、今のメンバーと眺めていたいなあ」と。

 2月から無職。野球が仕事?伴って蓄えのない身は貧窮生活へ。教師時代には管理職を辞退、さらに早期退職、年金安し、でも「つらいなあ」とは思わないのが取り得だ。そのチョイスがシアトル訪問数度、フロリダの青空の下で野球をすること2度、その他アリゾナで、ロサンゼルスで、サンディエゴでアメリカ人やメキシコ人と野球をし、シカゴ、ミネアポリス、カンザスシティ、バンクーバーなどでメジャーリーグの世界を贈ってくれたじゃないか。たくさんの友人もできた。その延長線上の今の「野球の景色」。やはり幸せな景色。

 そのわたしに自然とまわってくるのが調整役。外野でエラーを連発する人には「どうです、内野手の方がよくないですか?」といい、チーム運営に実力を発揮していない人には「チームの転換期です、今の良い雰囲気を継続するためにはあなたの力が必要です」と監督、コーチへの就任を打診する。マネジメント能力に優れる若手(60歳は超えてますよ)にベースコーチャーとしてサインを出してもらうよう推薦したり。家族の悩み相談に乗るのも調整役の仕事で、花粉症対策に玉ねぎのスライスを推奨するときもある。みんなが元気で古希・還暦野球を楽しむためには心のまとまりがベストだから。

 10日の試合後、対戦相手のベンチでは口論が起きて、「もう辞めろ!」と罵声が起きていた。内紛模様でひとりの方が帰っていった。チームから離れたそうだ。そのために交流戦が流れた。同チームの人が「楽しむための野球なのに勝手なことばかりするからだ」といっていた。わたしたちの年齢で、こういう景色を演出しては良くないと思うのだ。野球の団体では構成メンバーが離反することも多々あるだろう。反目、裏切り、利己的活動、相互理解の不足、打算等々、いろいろあっても、全ての高齢者には人生の締めくくりとしてさいごには「すべて丸く収まって」有終の美を飾ってもらいたいと、わたしは願う。

 「あなたはなぜ、そんなに元気に古希野球や審判活動をされるのですか?」。わたしの問いにその人は応えた。「家内が健康を壊して、余命いくばくもないと知った日から、わたしは死ぬのが怖くなった。次はわたしも死ぬのか、と。だから自分の元気のために、辛抱しないといけないことがあっても、こうして参加しているんだよ」。奥さんの分も生きなくてはと決心されているように感じた。

 アメリカフウが高く春風に揺れている。日頃チャンスの少ない交流戦の選手たちが懸命にプレーをしている。新緑と緑の芝生、仲間の笑顔。野球やライティングの気分転換に藤沢周平や池波正太郎、あるいは山本周五郎の作品を読むことが増えた。山本周五郎作品の「寝ぼけ署長」(新潮社・全集)からの一節。「人生は苦しいものだ。お互いの友情と、援けあう愛だけが、生きてゆく者のちからです」。今の三田プリンスはまさにこのようなチームなのだ。わたしは「いい景色」を眺めている、毎週。



 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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