愛おしさを感じて~野球仲間~
24日(月)午前4:45起床。5:15家内の運転で西脇市駅へ。いつ以来か忘れるくらいのJR乗車で、立花駅(尼崎市)までの運賃は1,680円だった。シートに二人の男性(ちょっとくたびれていた)が眠りこけている。文庫本を取り出して加古川駅を目指す。そこから新快速で西明石、明石、神戸、三宮と過ぎて芦屋で下車、向いホームから各停に乗り換えて立花駅へ。列車から眺める都会の景色も久しぶり。大きなバッグを抱えて初老のオジサンは野球へ。若い乗客たちはスマホと睨めっこで、景色に目をやるのは田舎者だけ?立花駅前のコンビニでコーヒーとパンを購入、支払いはPayPayで。尼崎市役所への通勤者と並んで歩道を歩く。愉しい。
尼崎でわたしはまた一つ「壁」を超えた。と自分は思う。24日(月)は橘球場で尼崎ポパイと対戦。昨年は1勝1敗、互角の戦いだった。勝った試合では4-2と迫られてなお、再終回にランナーは無死2,3塁、一度は同点を覚悟したがそこから3人を凡退させての勝利だったから、今回も厳しいゲームになるだろうと予想していた。
1回表に2死3塁と攻め、わたしは投手後方への高いバウンドのゴロ、投手が弾いて先取点。2回には満塁から3番Hさんが左中間へ3塁打。久々の快打はバッテングセンターで打ち込んだ努力の結果だった。そこからわたしのライト前ヒット、5番Iさんの長打と続き、わたしが5点目のホームを踏んだ。2回を終えて6-0。最近は打撃陣が好調で白星が続いている。
4回までゼロ後進の尼崎は先般の西日本古希大会でベスト4に残った実力でじわじわと追ってくる。都会的な野球センスはさすがだ。こちらの拙守をついて5回に3点、6回には1点を追加され6-4となって、6回時間切れのゲームセット。最後の打者、尼崎のチームリーダーKさんをスライダーで三振に取って価値ある勝利を収めたのだった。
試合を控えた週末に息子夫婦が帰省していた。孫ふたり(ともに男児)とラーメンを食べ、子どもの施設で遊び、夜は室内で焼き肉を楽しみ、翌日曜日は赤穂市へ行楽に出かけた。息子の嫁は「忠臣蔵」を知らなかった。皆で笑ったが、世代的にはそういうものなのかと認識を新たにした次第。坂越で牡蠣を食べ(うまかった)、海を眺める公園でボートに乗って脚を使い、孫を抱いて歩いた。野球のコンディション調整としてはいささか心配。
23日(日)は赤穂市へ出発する前に練習。6:30起床、7:15から西脇市羽安町の公園で短距離走を実施、試合前日のルーティンをこなした。73歳「鉄の意志」。その経過を経ての尼崎。この勝利はまた「壁」を超えた意義ある勝利だった。試合後は息子夫婦が向かっている伊丹空港へ。監督のNさん(池田市在住)が「自宅に近いから送っていくよ」と、初めての道を見せてくれた。街の名は「池田市ダイハツ町」、ダイハツの会社が街の名前なのかと驚く。「うちのオヤジはダイハツの社員だった」とNさんの声。「あの向こうの住宅街だよ、我が家は」と教えてくれた。また野球仲間の人生に触れた。
クボタのグランド(伊丹市)では、「あの建物は何ですかね?」と尋ねるわたしに「あれは老人ホームですよ、〇〇年に建てられた」と詳しく語るのはKさん。伊丹市役所で財政課に勤務する出世コースのエリート職員だった。若くして亡くなった奥さん、そこでは子育てのために出世コースを離れた苦い思い出もあるKさんの人生に触れた。
Kさんは打撃には強いが外野守備には?がつく人。彼のエラーにマウンドで呆然とするときはあるが、試合後はほほえましくKさんを眺める自分がいる。一日一日、みんなが愛おしくなるように感じるのだ。古希を過ぎてなお好きな野球に打ち込む男たち。日常の私生活におけるつき合いはなくても、いっしょにボールを追っているだけで心が通う。昨年、重い病気でしばらく野球から離れ、手術、放射線と治療に専念したリーダー二人(三塁手と捕手)の復帰も好調の要因となっている。
これで還暦は5勝0敗。古希も5連勝。チームの雰囲気も良し。息子が乗ってきた自分の車を受け取って、中国自動車道を池田から西脇市へと走る午後。曇天で肌寒い一日だったが、車内はヒーターが効いて勝利の余韻が心地よい。孫たちが去って、また夫婦のいつもの生活が始まる家は、ホッとすると同時にちょっぴり寂しいはずだ。その自宅へ帰ろう。その運転席でふと感じる。今、自分は、人や景色や、世の中のもろもろの出来事が深く、鮮やかに心に沁みているな、と。今、毎日が充実するのは年齢がなせる業なのか。
5月1日は最強の相手・甲子園スターを三田に迎える。愛おしい仲間と力を合わせて勝利したいものだ。健康や長生き、活気ある老後のための野球だから、もちろんみんなが楽しみながら勝つ野球を目指すだろう三田プリンスは。
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