忘れられない風景(その1)
懇意にしている友人が脳梗塞を患ったり、旧知の方が鬼籍に入ったりと、古希ともなるといろいろ出現する。本棚に置く前に再度取り出した本、「第158回芥川賞受賞 35万部突破 63歳の新人、新たな老いを生きるための感動作 おらおらでひとりいぐも」のページをパラパラめくった。
こんな一節が目に入る。病院の待合室で検査を待つ間に目の前のご婦人を眺めていたら、主人公の桃子さんは高校出たての頃に東京から夜行列車に乗った時の光景を思い出した。その男はウィスキーの小瓶を取り出して、チビリチビリ飲んでは「革製の巾着にウィスキーの瓶を入れ丁寧に蝶結びをする」。男はその行為を几帳面に繰り返す。小説では、その光景がたびたび桃子さんの頭をよぎるのだそうだ。
わたしにも東京発大阪行きの夜行列車にまつわる思い出が消えない。それは若者の一途な夢と固く結びつく。1967年の夏のこと。高校の制服に身を包み、わたしは単身新幹線に乗っていた。「1967 夏季ユニバーシアード東京大会」。3年前の東京オリンピックの感動も冷めやらぬとき、わたしは東京へ向かった。学生の祭典、東京ユニバーシアードは8月27日から9月4日の開催だったから、いつ国立競技場へ入ったかは定かではない。
日本の世界的な長距離ランナー・沢木啓祐選手(当時順天堂大職員)を一目見たい一心の旅だった。5,000㍍決勝。華麗なフォームの沢木さんはホームストレートで先頭に出ると、カクテル光線を浴びた両手を小さく肩のあたりで広げ、首を左に傾けてフィニッシュ。1万㍍と並ぶ二種目制覇の金メダルだった。「順天堂へ行きたい!沢木さんがいる。行きたい」。レース内容に興奮した田舎の高校生は競技場を出ると駅へ向かって一直線、走った、走った。
汗なんか気にしない。沢木選手になりきって東京の夜道を走った。どこに駅があるか知っていたんだな、今もって不思議。夜行列車の切符も一人で購入して、座席に腰を下ろした。同じ席には労働者風の気のよさそうな中年男性三人組が陣取った。彼らはやおら道具を取り出すとサイコロ賭博のような賭け事を始めた。
自分のオヤジのようなオッサンたちを眺めていたら、一人が口を開き、「ぼくはどこへ行くのか?」と聞いてきた。大学進学を目指していて、そのために陸上競技のレースを見に来て大阪へ帰ります、とわたしは説明する。オッチャンは言う。「君が箱根駅伝に出場するのを楽しみにしているで」。岐阜辺りで下車するまで、三人組はバクチを愉しんでいた。
それを眺める高校生。運よく順天堂大学へ進学したが、実力なく、その高校生に箱根駅伝出場のチャンスはなかった。「おらおらでひとりいぐも」の桃子さん同様に、わたしはは夜行列車のこの一場面を思い出す。おそろしく鮮明に。そこには若い夢があり、行動力があり、大きな可能性もあった。その頃の自分がいとおしいから記憶が消えないのか。
同時に、69歳の自分は今もあの頃の一途さを失っていない、その後の人生が一途なものだったから、夜行列車の一風景が蘇るのではないか。
32か国、1729人が参加した1967夏季ユニバーシアード東京大会。走り幅跳びの金メダルは阿部直紀(順天堂大)。翌春、順天堂大学体育学部を受験したわたしは走り幅跳びの実技に挑んだ。高1まで跳躍を専門としたわたしは右足で強く踏切板を蹴った。「いい踏切だ!」審査役の学生さんが大きな声で褒めてくれた。受験で褒めて貰えて、うれしかったのだ、わたしは。
振り向くと、阿部直紀選手がいた。沢木啓祐と夜行列車と、阿部直紀。わたしの「おらおらで ひとりいぐも」の青春物語の一節です。さあ、本棚で静かに眠ってもらおうか。
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