忘れられない風景(その2)
「昨夜は覚醒してしまい睡眠不足です」。統合失調症の回復期にある若者から聞く言葉。そうか、そうかと聞いていたら、今朝は自分が覚醒して4時から眠られずにシャワーを浴びてパソコンに向かう始末。
昨日、兵庫教育大学の一授業「ボランティア講座」でのスピーチがひどかった。M教授から講師を依頼され、自信を持って臨んだ授業だったが、あぁひどい内容だった。学部1年生を相手にするには年齢を重ねすぎたか、焦点がぼけたか、はたまた日頃見慣れない若い学生相手に緊張過多に陥ったか、とにかく最悪の講演内容だった。これが覚醒の原因。
「この恥」がまた成長につながると考えて乗り切ろう。野球の試合に負けて悶々とする夜、それと同じ気持ちだった。いくらひどい授業でも、2~3人の学生には熱い気持ちが伝わったと考えたい。さあ、また今日から事業所「ドリームボール」に新しい気持ちで取り組んでいこうか。
わたしはなぜその風景を忘れないのか。小学校3,4年生頃の記憶。当時は日本中にプロレスブームが巻き起こっていた。1953年に力道山が日本プロレスを立ち上げて、伝家の宝刀・空手チョップで外国人レスラーをマットに沈める姿が、普及し始めたテレビによって全国に放映されていたころのことだ。皆熱中した。おとなもこどもも力道山に憧れた。日本人の代表的存在力道山が朝鮮半島の出身だと知るのは後年のこと、彼の複雑な人生と苦悩は知る由もなかった。
力道山のリングコスチュームは黒のタイツ。町内にいた中学生Iちゃんはなぜかその黒タイツを持っていた。レスリングシューズも履いていた。今でいう通信販売で買ったのだろうか、バーベルもあった。長身であまり賢くは見えないが、どこか憎めないその中学生は得意満面、力道山になりきって歩くのだった。ポーズを決めてバーベルに取りつく。黒タイツにレスリングシューズ。本物のレスみたい、かっこいい、と思った。小学生にはビックリの連続だ。
大きな柿の木の下、町内を流れる小川のほとり、Iちゃんは小学生相手に得意のパフォーマンス。うれしそうだった。そのときの光景がフルカラーで思い出される。昭和30年ころの懐かしい話。以後、わたしはおっちょこちょい的なIちゃんの姿を見る事はなかった。村を出てどこで、何をして暮らしているのか。追われて、町内の同級生の家に隠れていたと小耳にはさんだことはあったが。
Iさんの名前に触れたのは十数年前だったろうか。新聞の片隅にその事件が報じられた。「釜ヶ崎のスナックで刺殺事件」と。町内の先輩に確認すると、殺された人物はやはりIさんその人だった。憎めない、ひょうきんな(本人は大真面目なのだが)「村の先輩」が庶民が肩を寄せ合って暮らす大阪の片隅で亡くなっていた。得意げな、彼の力道山ウォークが想いだされた。
こういう「村の先輩」たちがわたしの原風景となって自分という人格が形成されていった。悪い環境で育ったとは思わない。Iさんはとうにこの世から消えてはいるが、小川も、柿の木も当時のままに残っている。ときたまその場を通るとき、わたしはいつもIちゃんを想う。
黒タイツの中学生に、どてらの袖を鼻汁でこてこてにした小学生たち。貧しくても、心温かい人々が息づいていた平和な時代。Iさんの力道山になりきったパフォーマンスはおもしろかった。
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