軟式野球協会
「嫁から離婚届けを突きつけられましたからねえ」
ある審判の述懐である。子どもが熱を出して救急で病院へ行くその日、軟式野球協会支部役員から電話が入った。「今日は審判の予定じゃないか。そんな無責任でどうする!」。その電話を受けた妻が怒り心頭に達し、くだんの離婚届を持ち出したというわけ。彼はその後しばらく審判活動から離れた。
といっても、これは昔話し。今の兵庫県軟式野球連盟はきわめて柔軟になった。役員がそうしようと努めている向きもある。わたしは昨年度から、西脇支部の理事長に就任、今年は2年目を迎えている。プレーをしていたときは協会にずいぶんお世話になった。支部役員、審判団のおかげで我々は野球を楽しむことが出来た。最近では「鈴木啓示 草魂カップ学童軟式野球大会」を主管していただいて、昨年は県下32チームの参加で無事に10周年を終えた。だから、理事長を受けた。正直、断れなかった。
「3年ほどやって、いい協会になれば後任にバトンパスを」。なんと気楽なことを考えていたのか、現実は違っている。60歳前後の理事がスポンと抜けている。その世代が少ないのだ。副理事長はいう。「理事長になったら死ぬまでやで」。おいおい、次に離婚届を突きつけられるのは自分?老後の夫婦の時間が減る?だが、嫌な仕事でないのも事実なのだ。
昨日5月21日(日)は「第78回天皇賜杯 ENEOSトーナメント 兵庫県予選会」。姫路ウインク球場(姫路市立姫路球場)へ行った。役員としての派遣義務を果たしたわけだ。昔は年一度の「播但都市対抗」でここへ来るのが楽しみだった。「当時はトップボール(準硬式)でしたね」と隣席のT理事長に話しかける。西播州地区の小さな組織(西脇と似ている)を長年にわたってまとめている人だ。穏やかでやさしい雰囲気。
昭和22年生まれと聞いた。「じゃ、鈴木啓示さんと同じ学年ですね」。「上郡高校2年時に練習試合で育英高校が来てくれたよ」と応じてくれる。当時上郡にいい投手がいて噂になって実現した練習試合かと想像した。後の317勝投手が西播地区にも足跡を残していた。ウインク野球場で繰り広げられる県A級クラスの高レベルな軟式野球を観ながらスコアをつけるわたしは、役員同士の会話から得ることが多い。
「うちの支部は学童が1チームに減ってしまった」と嘆くT理事長。「一般(社会人)のチームも西脇と同じくらいの数ですね」と問うと、「おたくは学童が多いじゃないですか、学童の試合があればたくさんの保護者も応援に来て、支部に元気が出るし」と笑った。西播では4つの協会が審判活動等で支部を越えての協力体制がある。日常的な連携が存在している。少子化、審判員の減少等で合併という事態が生じないとも限らない。「それも視野に入れての協力体制ですよ」とのこと。
広い役員室。ネット裏から眺めるレフト後方の武道館。緑の森。北西では陸上競技場の場内放送の声。中学生の大会が行われているようだ。教師時代に生徒を引率した競技場だ。プールもあった。卒業生と泳ぎに来た記憶もある。野球場の入り口には姫路市ゆかりのプロ野球選手のグラブやユニフォームが展示されていた。西脇公園野球場にも「こんな顕彰がほしいなあ」と、彼我の差を複雑な思いで眺めた。
T理事長は「西脇は学童の8チームがあるじゃないか」と羨んだ。妻に離婚届を出された審判は「ぼくらが辞めたら子どもたちはどこで野球をするのか」と考えて復帰している。軟式野球協会を構成する人たちは「野球の場を提供したい」一念で、「しんどい」活動を続けているのだ。わたしもやれることを丁寧に勤め上げようと思った一日。
いつもは中国道から播但自動車道を走って姫路市内に入るのだが、5:45に出たわたしは、久しぶりに下道をのんびりと進んだ。「あんなに賑やかだった喫茶店が」閉まっていた。「ここで買い物をした」イオンが跡形もなく更地になっていた。コロナ禍がもたらした災禍ではないか。人と話し、社会の変貌を垣間見て、わたしはまた来週27(土)、28(日)三田市の大会役員として出かけていく。
ときたまポートランド(オレゴン)からLine電話をしてくる7歳の孫はいう。「ジージーはいつもヤキュウ、ヤキュウだね、なんで?」。ホント、なんでだろう。
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