「下駄の上の卵」
昨日(6月3日)は兵庫県官公庁野球大会の役員として「こうのとりスタジアム」(豊岡市)に居た。氷上町から近畿自動車道に乗れば但馬がグーンと近くなる。午前4時起床、4:50出発。球場には6:20に着いた。但馬の空気はうまい、景色にも気分が和らぐ。人工芝の野球場も立派だった。そこで一人の審判員が話しかけてきた。「神戸新聞に載っていましたね。Mさんの記事。鉄人ですね」と。
ちょうど1週間前の5月28日(日)、県下各地の動きをまとめた「わがまち 三田」の欄では「古希の強打者🥎1試合4本塁打」と題して、三田プリンス強打の一番打者・Mさんが特集された。写真と記事。「5打数5安打9打点」だから記事になっても当然か。本人は「あまり大きい記事なのでびっくりしましたよ」と謙虚に語っているが、世の、地域の中高年を大いに励ましたのではないか。わたしの周囲では話題となっていたから、これは記者の「打点1」。
記事の勢いで迎えた還暦公式戦、三田VS西神チャレンジャー(5月31日、三木防災公園)。3回まで0-2と好投手の前に苦しんだが、4回にSさんがタイムリー三塁打を打って、そこから一気に逆転。5連勝中のチームを下す9連勝。荷物を積み込む横には三塁打のSさん、目が合うとにっこり笑った。そういえば最近、多くの選手と目で会話ができるじゃないか。野球のみのつきあいで私生活での交流はないに等しいが、野球を通じて心が通う。井上ひさしの小説「下駄の上の卵」(新潮文庫)の世界と、三田プリンスがダブってきたようだ。
敗戦後の昭和21年のこと、山形県の田舎で三角ベースをしていた国民学校生6人(小6)が、真っ白い軟式ボール欲しさにヤミ米を隠して東京の「長瀬護謨製作所」目指して苦難の冒険旅行をする物語、それが「下駄の上の卵」。自分たちのチームは「セネタース」。青バットの大下弘選手が大好きで名づけた。ライバルの名は「ジャイアンツ」。ジャイアンツは幼稚園出身者で固められている。そこは町長、助役、地主、造り酒屋、旅館、銀行支店長や駅長などの子どもしか入れない。その卒園者たちが集まるジャイアンツは、真っ白い軟式ボールや革製のグローブを持っている。片やセネタース、ビー玉を里芋の茎で包み布をかぶせたボールしかない。「おれらに軟式ボールがあればあいつらに負けるもんか」と、6人は親にうそをついて東京へボールを求める旅に出る。
作中にはGHQ統治下の日本の姿、焼け跡が残る東京の街、闇物資を運ぶ人や取り締まる警官の姿、朝日新聞の「野球害毒論」や浅草の浮浪児など、戦争直後の状況が詳しく描かれている。解説の井筒和幸氏(映画監督)は「一気に読んだ」と書いている。30年間ずっと映画化を模索してきたとも。「ここで、ボールはね、一説では、真っ白いということで民主主義の象徴と言われるけど、それよりもね、ぼくが思うにそれは”いいもの”なんだよね、いい小説でも映画でも音楽でもいい、お父さんでもお母さんでも、なんでもいいんだよ。言葉では言い表わしがたいけど子供にとって、一番に”いいもの”なんだよね」(井筒)
物語の最後は冒険の途中で二斗の重いヤミ米が原因でけがをした正(ただし)を修吉たちが見舞いに行く場面となる。いかさまや詐欺にあいながら守り抜いた長瀬護謨製作所の「ケンコーボール」一個を大事に持って。井筒監督は語る。「友だちっていうのは宝物でしょ。一刻も早く病院に駆けつけてあげたいと願うのが、いま一番の価値あることだと」。そして次のようにまとめている。「もちろんボールも大事だけど、誰か頼れる人間、信じたい人間がいないと自分は生きていけないと。野球を一緒にできる友だちとはなんぞや、ってね」。
野球を一緒にできる古希仲間とはなんぞや。問題の多い社会の中で、一番の価値あるものとはなんぞや。目で交わしたSさんとの会話、それがわたしには価値ある”いいもの”なのだ。作中でこどもたちは「もうすぐ全日本軟式野球連盟ができるんだって」といっている。「ケンコーボール」も健在。あらためて古希野球の価値を教えてくれる子どもたち。井上ひさしの「いい小説」に触れた。
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