審判人生 泣き笑い
こんなタイトルじゃダメだな。「審判の袖番号は24」、これもインパクト弱いし、「影のプレーヤー」とか「孤立無援の・・・」なんてのは有名作家のパクリになるし。今、試行錯誤の中、ある審判の物語を書こうとして勉強中なのだ。
一日の終わり、西脇公園野球場から帰る単車で初夏の風に触れるとき、爽やかな気分になって自然と笑顔が浮かんでくる、昨日はまさにそんな日だった。朝から4試合を消化した。一般社会人(軟式野球)の西日本大会予選、暑さの中でも大勢の審判員が揃ってくれた。本部席に笑いが起きて、「Mさん、コールが早いわ、もう一呼吸置かないと」などと厳しい指摘も交わされて、社会人や学童、あるいは中学生の野球を支えている審判理事たちの想いがしみわたる一日だった。
懇親会の日程もほぼ決まった。例年は1月の新年会だけが西脇軟式野球協会の親睦行事だったが、若手幹部の提案で7月に「焼肉飲み放題コース」が実現することとなった。経費は自前だが。協会とのつき合いも2年目に入り、彼ら審判員の誠意や苦労が実感できてきて、その応援も含めて、元プロ野球審判の若き日を描ければと、目下文章の勉強中というわけだ。
物語の主人公は福井 宏さん。元セ・リーグ審判部副部長。30年の審判人生で積み上げた3059試合は史上9位。佐賀県は伊万里商高出身。甲子園出場も、関門海峡を渡る夢もかなわず親和銀行本店に就職。だが野球への情熱冷めやらず審判の試験に公募。「目が輝いていた。声が大きくよく通る」と円城寺さんに褒めてもらって合格、審判の道を歩くことになった人、それが福井さん。彼は今も背番号24を背に(審判現役時代の袖番号が24だった)還暦野球、古希野球のグラウンドに立っている。マスターズ陸上の短距離走も常連だ。
福井さんとわが西脇市の審判を絡めて審判というものを広く周知してもらえる文章を書きたいと思う。審判は自己満足の世界ともいわれる。自分の仕事を静かに振り返ってひとりほほ笑む。地位や肩書、権力への執着などとは無縁な「孤立無援の影のプレーヤー」。その人たちの人生観こそ今の時代に求められるのではないかなと、林芙美子の「放浪記」、向田邦子のエッセイ集「女の人差し指」を読みながら考える。その表現のためには、自分の文章からガサツな熱さ、脂っこさ(脂質)を抜いて、さらりとした上質なものに変えないとダメなので、目下模索中。
野球協会は、還暦・古希野球と併せて、人生における自分の組織論、実践論の最後の舞台である。理事長として、古希チームの主戦投手として、野球チーム、野球人口の減少、また中学校の部活熱低下にどのように立ち向かっていくのか。人生の最後にこんな場所を与えてもらう幸運をかみしめて、日々体と頭を使って難問に挑もうと思っている。ひとり山歩き、静かに一人で読書といった生活は、もうちょっと先になるかなぁ。
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