古希野球、生きるエネルギー

 6月25日(月)はわたしが代表を務める障害者就労支援施設B型「ドリームボール」の工賃支払い日だった。利用者のみんなに少しでも多くの工賃を支払いたいと思うのは福祉に携わる人間として当然のこと。現実はそうもいかないけどね。

 わたしは古希野球のために職場を離れることがある。そんなとき、わたしをささえてくれた同級生が体調を崩した。大変だ。朝は5:30に起床。6:30西脇を出発して三田市に向かう。練習生(年齢が1っ若いから公式戦に出場不可)は2試合目の交流戦が出番となる。公式戦が9:00開始で、わたしの出番は11:00前あたり。そこから4イニング投げさせてもらって職場へとんぼ返り。もちろん昼食は抜き。汗だくで車中の人となる。だが、それでいいのだ。古希野球にはそんな苦労を吹き飛ばす魅力が満載なのだ。

 久しぶりの参加。ベンチ前で、いぶし銀の外野手Mさんいわく、「竹本さんのユニフォーム姿を見ると元気が出るなあ」、なんて。「歳は一番若いですが」と返すわたし。チーム参謀格のMさんは、「元気な声が聞こえるわあ」とほほ笑む。ミーテイングでサインを説明するのは立命館大で吉田義男さん(元阪神)と同期だった80歳を超えるMさん。

 自分の存在がみんなに元気を与える?これも福祉活動?と、アホなことを考えながら三田プリンスのみなさんと野球ができる喜びを噛みしめた。69歳となって、身体に相応しいトレーニングとは何かを探し求めて右往左往、やっと回答らしきものに出会った。

 道路でのランニングはやめ、坂道を含む散歩に30分、芝生でダッシュ、軽いウェイトで下半身運動3種類、上半身も軽めの重さでこなす。バットスインング、ゴフルクラブ振りからネットピッチング(硬式球で)で仕上げ、まあこんな練習を週5回。体重も1kg減。

 この日のピッチングは広島カープの野村投手を手本にした。カープの投手はツーシームなど、曲がったり沈んだりするボールが多い。きっとヤンキースにいた黒田投手の影響だろうとわたくし、素人は考える。25日はそんな投球をしようと決めていた。わたしなら、カーブ、シュート、そして落ちるボールにスライダーというところか。真っすぐ一本やりの単調なピッチングはしたくない。

 初めてコンビを組むNさんはなかなか落ち着いていてキャッチングもうまい。「シュートのときはどこに構える?」なんて聞いてくれる。「真ん中に構えてミットだけインコースにお願いします」。だから投げやすかった。4イニングでマウンドを降りるときに先輩捕手のSさんがいう。「ノーヒット・ノーランだけどいのか?」と。

 フォームで速い球が行くのではない、フォームは脱力してゆったりと。何かコツをつかんだ感じを持ったのだ、この日は。満足のいく投球ですぐさま車に乗る。昭和30年代のナツメロが流れる中、冷えたスポーツドリンクをがぶ飲み。梅雨の中休みの猛暑の中で、わたしは古希野球選手の歓びを感じていた。

 日に焼けた。体も締まった。活力もみなぎる。だが、同時に思うのだ。仕事を気にせず野球に没頭できる日はいつ来るのか、と。

 

 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

0コメント

  • 1000 / 1000