海外からまたひとつ訃報
わたしが参加しているFacebookに、「Dodgertown Baseball camp Memories and Friends」というグループがある。そこに書き込みがあった。
Sad news・・・Nancy Gollnick passed yesterday.
ベロビーチ(フロリダ)のドジャータウンで行われる「ドジャース・アダルト・ベースボールキャンプ」(ドジャース大人のキャンプ)を事務方で仕切っていて、多くのキャンパーに親しまれていたのがナンシーさんだった。太めの体で陽気な彼女は、キャンパーの癒し的存在だった。その彼女が亡くなったという知らせが届いた。
1948年~2008年までドジャースがキャンプを張った場所、それがドジャータウン。巨人や中日あるいは近鉄バファローズがキャンプしたことで日本にも知られているのがベロビーチだ。7面の野球場が広々とした場所をわたしが訪れたのは2004年と2006年だった。憧れのベロビーチで約90人のアメリカ人キャンパーと一週間、生活やプレーをともにした。そのときにナンシーさんとも親しくさせていただいた。女性二人とアジア系キャンパー3人がおさまった記念写真にナンシーさんの笑顔が明るい。
誰にでも人生で一瞬輝く季節がある。忘れ得ぬ想い出がある。わたしにとってはドジャータウンがまさしくそのひとつである。書斎に飾る写真。ホームベースに向かって滑り込むジャッキー・ロビンソン。帽子が宙に舞う。わたしと肩を組むのはメッツでペドロ・マルチネス(元レッド・ソックスなど)を指導したガイ・カンチ(コーチ)。映画「メジャーリーグ」に出演しているスティーブ・イェガー(元ドジャース捕手)と腕を組むわたし。
「To Takemoto A great writer Thanks」と写真にサインを入れてくれたのはデイブ・ウォレス。彼は野茂英雄がドジャース入団時のピッチング・コーチだった。左に目をやると「Enjoy楽しめよ」とサインしてやさしく微笑むラルフ・ブランカの顔。彼は「42 世界を変えた男」(映画)で黒人初の大リーガー、ジャッキーを支援し、援ける男として描かれている。彼はわたしをも励ました。「You ナンバー・ワン!」と。
机の前にはドジャータウン全景写真もある。キャンプでオールスターに選ばれたときのトロフィーも3つ。ジャッキー・ロビンソンとロッカーを並べたカール・アースキン(元ブルックリン・ドジャースのエース)から表彰を受けるわたしの姿もある。思い起こせばなんと素晴らしい世界を経験したのだろうと、いまさらながら驚いている。
2004年にはハリウッドのプロデューサーから映画出演を打診されたし。まあこれはわたしだけが知る「幻のハリウッド事件」だが。この想い出の輪の中にはいつもナンシーさんの笑顔が在った。1948年(わたしが生まれる前年)から2008年まで続いたドジャータウンも、今は「ジャッキー・ロビンソン・トレーニング・コンプレックス」と名を変えている。いつか再訪したいと願っていたが、もしかなうなら、ナンシーさんが笑顔で迎えてくれるはずだったのに。今日のFacebookにはかつてのキャンパーたちがNancy Gollnick さんにまつわる思い出の写真や追悼の言葉をアップしている。
片や若い命、わが孫は今日がバースデー。ロサンゼルスのマリーナ・デル・レイで生まれ、4歳でポートランドに引っ越した娘は5歳の誕生日を迎えている。名前はミア・ロビンソン・トーマスという。ミドルネームのロビンソンは、そう、黒人初の大リーガーから頂戴したものだ。孫の成長を願いながら、ベロビーチに居るナンシーさんに別れを告げている。
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